「母が倒れてしまいました。最悪の事態が現実に。きっと助けてもらえない。私も長く生きていないかもしれない」
緊迫したメッセージがツイッターで私に届いたのは、昨年11月下旬のことだ。
送り主は、その数カ月前に取材した51歳の男性だった。非正規雇用で転職を重ねた末、心を病み、自宅にひきこもった。高齢の母と2人暮らし。その母が倒れて救急車で病院に運ばれた。ほぼ親任せだった家事、看護・介護の不安が押し寄せ、混乱している様子が、メールなどのやりとりから伝わってきた。
幸い、男性はその後、徐々に落ち着きを取り戻し、母の看護や家事に向き合い、年末年始を乗り切った。ほっとした一方で、こうした家族が抱える「共倒れ」リスク、ひきこもる中年世代が行政に支援を求めるハードルの高さ、などについて改めて考えさせられた。
推計で61万人
内閣府は昨年、40~64歳の「中高年ひきこもり」が全国に61・3万人いるという推計を公表した。それに関連して「8050(はちまるごーまる)問題」という用語はかなり知られるようになった。明確な定義はないが、私は「無職やひきこもり状態の中高年の未婚の子(50代)と、高齢の親(80代)が同居する家族が孤立して生じる様々な困難」ととらえて、取材を続けてきた。70代の親と40代の子の組み合わせで「7040(ななまるよんまる)問題」と呼ばれることもある。
8050問題の特徴は、介護や生活困窮などの課題とともに立ち現れる複合的な困難ということだ。親の死去後、中高年の子が遺体を放置してしまう死体遺棄事件も相次ぎ報じられる。
川北稔著『8050問題の深層』は、介護の窓口になる地域包括支援センターや、生活困窮者の支援窓口の大半が、無職の子・ひきこもる子がいる家族の対応を迫られている実態を提示する。高齢化や未婚率の上昇など人口構造や家族の変化をふまえれば、8050問題は必然的に生じる課題だとし、社会的孤立は他人事ではない、と警鐘を鳴らす。
問われる報道
関水徹平著『「ひきこもり」経験の社会学』は、多様な「ひきこもり」経験を、本人にとっての「ひきこもり」、家族にとっての「ひきこもり」にわけて考察する。
このうち多くの家族にとっての「ひきこもり」問題は、「親亡き後に残された子はどうなるのか」など、将来の「生活保障」への不安であると言う。それはなぜか。政府の生活保障が脆弱(ぜいじゃく)ななかで、企業による生活保障が縮小し、家族が生活保障の責任を負うほかない家族主義的な福祉のあり方が、不安の底流にあると筆者は説く。
この視点は重要だ。家族問題である8050問題を、「社会化」して考えなければならない理由の一つが、ここに示されている。
池上正樹著『ルポ「8050問題」』は、「8050問題」という言葉が、児童ら20人が殺傷された2019年の川崎殺傷事件などを契機として注目され、本来の意味がゆがめられて拡散してしまったことを指摘する。
長年ひきこもり問題を取材するジャーナリストである著者は、長くひきこもる人を「犯罪者予備軍」視するような偏見を広げた報道、メディアのあり方を鋭く問う。ほかに、当事者団体と厚生労働大臣の意見交換など、新たな展開も伝えている。
「8050問題」を含む「ひきこもり報道」のあり方については、今後も厳しい目が注がれるだろう。当然ながら、これは記者である私自身にも投げかけられた課題だ。=朝日新聞2020年1月18日掲載