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「政治と記録」本でひもとく 捨てられてきたものは何か 福田宏樹(朝日新聞記者)

 子どもの頃は夜になるとボンナイフで鉛筆を削るのが日課だった。でこぼこして見た目は悪いが、書くには差し支えない。半世紀ほど前のことである。

 同じナイフで紙を削ることもあった。ボールペンの字は消しゴムで消せない。寝かせた刃を小刻みに動かし、紙の表面を削る。誤った字は細かな粉となって消え、薄くなったところに新しい字を今度は慎重に書いた。

 よしなし事に思いを巡らせたのは、昨今の公文書管理問題を考えていたせいである。安倍政権で改竄(かいざん)や廃棄が収まらない。これに強い批判があり、対策が求められているのは当然だが、頭はどうしてもそれ以前の問題に向いてしまう。ものを書く、あるいは記録するということ、そして「書かれてそこにあるもの」に対して、かつて広く共有されていたどこか居住まいを正すような感覚が、社会から消えつつあるのではないか。

 紙の文書には、汚れや撚(よ)れを含め、時間が堆積(たいせき)されている。まして手書きとなれば、書類であれ、書き手が写り込む。電子文書にそれはない。手紙が電子メールを削除するように捨てられないのは、その違いによる。

民主主義の根本

 手書きの時代に首相を務めた一人に、大平正芳がいる。死後に評価が高まった人で、公文書公開の重要性を早くから認識していた。外相当時には外交文書の公開制度を設けるべく動き、文書公開は「民主主義の根本」なのだと国会で答弁している。「歴史的な検証にたえる」ことをしているかどうか、政治家は自問すべきだというのである。

 評伝は複数あるが、ここでは福永文夫の『大平正芳』を挙げたい。相反する二つの中心を対峙(たいじ)させ、均衡のなかに調和を探る「楕円(だえん)の哲学」、権力への抑制的な姿勢、「暫定的解決を無限に続けていくのが歴史」と考え「単純な過去への回帰も、一足飛びの未来への憧憬(しょうけい)もない」態度――「健全な保守」を自任した大平の人と思想は、現在の政治と鮮やかな対比を見せる。

 日本人が奏でる音楽は一つのコーラスになっている、案外調和は取れているのだ――そんな大平の一文を引きつつ著者は書く。「政治はあくまで『お手伝い』の役割を超えてはならないとの考えがあり、翻って大平は政治が何をなすべきか、何をしてはいけないかを探し求めた」

 そもそも「文書」とは何か。情報社会の深層構造を様々に分析した大黒岳彦の『ヴァーチャル社会の〈哲学〉』によれば、西欧語の「ドキュメント」はラテン語が起源で、「教える」という意味の動詞から派生したという。「ある本質的なものごとの『模範的実例』、ないし或(あ)る本質的洞察をそこから抽(ひ)き出すべき『教訓』という、現在われわれが《文書》の語に接して受け取る価値無記で生彩を欠いた杓子(しゃくし)定規な規格に沿った記述物という印象からは程遠い意味を持つ」

 現政権が書き換えたり廃棄したりしているものには、そういう原義があるのだった。

集合知どう働く

 眼前の公文書問題について知るには、瀬畑源の『公文書管理と民主主義』が手軽にして役に立つ。天皇制研究者でこの問題の第一人者でもある著者には何冊も関連著作があるが、最新の刊行である本ブックレットは勘所を平易に説き、「公文書管理院」創設といった方策も示す。紙と違って「文書の価値体系を平準化する」電子文書の危うさに触れているように、問題の裾野を見渡して書かれている。

 最後は市民社会に帰する問題であり、著者は「おかしいことに対しては、おかしいと声を上げる」必要性も説く。おかしいこと多き政権の可否の喫水線をどう見極めるのか、大平の言う「コーラス」すなわち集合知がどう働くのか。今年はその節目になるかもしれない。=敬称略=朝日新聞2020年2月1日掲載