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五百旗頭真の仕事 品格と責任感を持った政治学者 細谷雄一

 いおきべ・まこと 1943年生まれ。2024年3月6日、急性大動脈解離で死去。80歳。写真は15年7月、取材に戦後70年の日本政治と外交を語った

 二〇二四年三月六日、政治学者の五百旗頭真氏が永眠した。一人の政治学者の訃報(ふほう)が、これほどまでに大きく取りあげられ、注目されることも珍しい。日本政治外交史の分野の研究を超えて、市井の人々にもなじみのある存在であった。

歴史は実証的に

 それでは、五百旗頭真という政治学者は、いかにして誕生したのか。半世紀前、京都大学法学部で学ぶ若き学徒は、トマス・アクィナスの思想や、ヘーゲルの哲学に魅了されていた。大学院進学を決めると、ゼミの指導教員であった猪木正道は若き五百旗頭青年に、石原莞爾の研究を薦めた。資料を求めて石原の郷里、山形に向かい、実証的に歴史を学ぶスタイルがここで育まれる。

 その五百旗頭氏が、米国の対日占領研究へと向かったのは、もう一人の恩師で国際政治学者の高坂正堯教授が米国での一カ月ほどの研究調査に行くよう促したからであった。その研究は大著として結実し、そこから派生した一般向けの書籍が『占領期 首相たちの新日本』(講談社学術文庫・1518円)である。

 この本は、敗戦直後から七年後の占領終焉(しゅうえん)までの、東久邇宮稔彦から幣原喜重郎、吉田茂、片山哲、芦田均、そして再び吉田と、戦後初期の五人の首相の評伝的な歴史書である。

 五百旗頭氏の人物の叙述は、その息づかいが聞こえてくるかのようであり、またその紙面には血が通っているかのようである。どのような人物を描く際にも、そこに愛情や共感を示し、同時に歴史家としての厳しい評価を試みる。そこに、歴史家としての真骨頂が見られる。

日米の相互作用

 占領期研究の視座を拡(ひろ)げ、日米関係史と接合して、一般向けの歴史を描いたのが、『日米戦争と戦後日本』(講談社学術文庫・1100円)である。この本は、日米開戦から終戦、そして戦後の占領と民主化改革へと進む、日米関係のいわば叙事詩のような作品である。

 ヘーゲルの弁証法さながらに、勝者である米国と敗者である日本との間の相互作用が、戦後世界を創る。五百旗頭氏はそこで、トインビーの『歴史の研究』から、「ヘロデ主義」という用語を借用する。すなわち、「強大な外部文明の挑戦を受けた時、熱狂的排外主義(ゼロット)に走って玉砕するのではなく、『耐え難きを耐え』て外部文明を受け入れ、その力の秘密を内側から学びとり自己革新をとげる」。五百旗頭氏の論調は、どこか明るく楽観的である。苦難の中に、そして廃墟(はいきょ)の中に希望を見出(みいだ)す。

 五百旗頭氏の人生に、巨大な衝撃が与えられた。それは、一九九五年一月一七日の阪神・淡路大震災の、自宅での被災である。地震学者としてではなく、政治学者として、そして歴史家として、その記録を綴(つづ)り、その意味を深く考えたのが、『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫・1573円)である。

 巨大な衝撃を当事者として伝えるために、卓越した描写に溢(あふ)れている。他方で本書では、歴史家としての視座から関東大震災を、そして復興構想会議議長としての視座から東日本大震災を並べて論じている。他の著作にはない強い使命感と、責任感がその行間に浮かびあがる。

 五百旗頭氏は、あらゆる相手に敬意を持って接するその品格ある姿勢と、深い学識に根ざす政治学者としての責任感と、それらを併せ持つ希有(けう)な存在であった。歴代の首相の多くが助言を求めたのも、必然であった。

 そのような日本を代表するパブリック・インテレクチュアルを失った喪失感は大きい。他方で、その数々の魅力的な書籍が残されていることは幸運である。世界がよりいっそう混迷を深め、日本の針路を見通すのが困難な現在、五百旗頭真氏の叡智(えいち)からわれわれは貴重な示唆を豊富に得られるのではないか。=朝日新聞2024年4月13日掲載