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本の海を泳ぐ 澤田瞳子

 最近、人に会うたびに「本の整頓ってどうしています?」と聞いている。なにせ我が家では、日々恐ろしい速度で本が増える。元々の読書好きに加え、歴史小説家の仕事柄、史料や研究書が必要だからだ。リビングの本棚はとうに溢(あふ)れ、ダイニングテーブルも三分の一は本が占領中。仕事部屋なぞ本の海で溺れそうな有様(ありさま)で、どうすればこれが片付くか助言が欲しくてならない。

 お世話になっている大学教授のお宅は、一階全てが、可動式書架の並ぶ書庫だった。だがそれを真似(まね)るには建物基礎からやり直さねばならないし、どこにどの本があるかも時に把握できぬ今、そんな大掛かりな整理を仕事の傍ら行うのは無理だ。

 「開き直りだよ。読まない本は箱に詰め、空き部屋に入れりゃいい」
 そう語る親しい読書家の家には、段ボール箱がぎっしり押し込まれた部屋があった。ただこれでは奥の本は二度と取り出せない。

 「うん。だから出せない本は、僕にとってはそれまでなんだ。どうしても必要だったら、もう一度買うさ。けど、箱に入れちまった本を再度読みたいとは、あんまり思わないけどね」

 この世には、一生かかっても読み切れぬ数の本がある。その中の何を読むかと選択するのは、一種の独断。ならば整理にも開き直りが必要と分かりつつも、やはり彼ほどは図太くなれない。だいたい彼とて読んだ本は捨てられずに全部置いているのだから、ある意味、私と同類だ。

 こうなれば、整頓のためアルバイトを雇うか。そういえば研究室の後輩君が司書資格を持っていた。彼なら力もあるし真面目だし……と算段していた矢先、その彼は博士論文を提出し、あっさり文学博士になってしまった。ううむ。それとなく打診した時は「いいですよ」と言ってくれたが、前途洋々たる博士さまを私の本の整理ごときに雇うのは、失礼に過ぎる。かくしてまたも開き直りが持てぬまま、私は今日も我が家の本の海を必死にかき分けている。=朝日新聞2020年2月5日掲載