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カバンの中の三冊目 澤田瞳子

 想像力が豊かすぎるせいか、出先で何かあったらと不安になり、つい色々なものの予備をカバンに詰めてしまう。モバイルバッテリー、飲み物、移動中に読む本、エコバッグ。

 とはいえ、それらが実際に役立つ機会はそうそうない。大学生の頃、クラブ合宿のための荷造りをしていて、旅行カバンの把手(とって)が壊れそうと気づいた。修理の猶予はない。途中で壊れたら詰め替えようと、巨大なトートバッグを予備に持参して出かけた。すると初日の夜に合宿所が小火(ぼや)となり、夜が明け次第、全員帰宅と決まった。部員の中には、荷物に煤(すす)がかかったり、カバンが消火活動中に水浸しになった人もいた。

 「カバンがこれじゃ、電車にも乗れないなあ……」

 と困惑する先輩に、「あの、予備のカバンあります」とトートバッグを差し出し、「なぜ予備のカバン?」と仰天された。それ以降も含め、「予備」がもっとも役立った瞬間だった。

 だから、予備はそんなにいらないと頭では理解しているが、でももしかしてと思うと、やはり様々なものを準備してしまう。中でも顕著なのが移動中に読む本で、「途中で読み終えたら」と心細くなってしまうため、読書中の本と予備の一冊、更に念のための予備の予備と、カバンには必ず三冊以上が入っている。すべてが文庫本としても、正直、かなり重く、そしてかさばる。

 読書との付き合いは長いため、自分の本を読める速度ぐらいわかっているのだ。三冊目の予備は、まず要らないだろうということも。にもかかわらず必要以上の予備を抱え込んでしまうのは、つまりは「これぐらいは読みたいぞ!」という自分自身に対する前のめりな宣言でもある。

 言い換えればこれらの予備を必要としなくなる時とはすなわち、読むことへの渇望を失った時だ。そう思うと肩に食い込むカバンの重さが我ながら実に青臭く、しかし、できれば終生、三冊目、いや四冊目の予備を抱え込み続けるぐらい、がむしゃらな読み手でいたいと思っている。=朝日新聞2026年1月28日掲載