筆で主人公の動きに躍動感を出した
――真っ赤な髪をなびかせて山の中を駆けまわる、元気いっぱいの女の子、まゆ。降矢ななさんが絵を手がける「やまんばのむすめ まゆのおはなし」シリーズ、その誕生は40年ほど前、作者の富安陽子さんが月刊誌「子どもの館」(福音館書店)で連載していた児童文学『やまんば山のモッコたち』にはじまる。山姥に河童、天狗や鬼など、人間でも動物でもない「モッコ」たちのお話だ。
連載中は、富安さん自身が挿絵を描いていましたが、単行本化するにあたって、編集者の方から声をかけていただきました。デビュー作の『めっきらもっきら どおんどん』も日本の昔話のようなお話なので、イメージに合ったのかなと思います。それから10年以上経って、今度は絵本を作ることになって、またぜひ一緒にと。長く続いている作品です。
――絵本シリーズ最初の作品となった『まゆとおに』では、まゆの活躍がいきいきと描かれている。まゆを煮て食ってやろうと企む鬼と、そうとは知らずに鬼の手伝いをはじめるまゆ。ところが、力持ちのまゆが木を引っこ抜き、バキバキと折って薪を作りはじめると、鬼の方がびっくり。ユーモラスな鬼の表情と、ダイナミックなまゆの動きが印象的だ。
『やまんば山のモッコたち』はペン画でしたが、画面の大きい絵本では筆を使って、まゆの動きに躍動感を持たせるように描きました。実はこの時、あまり時間がなくて、急いで仕上げたという気がしていましたが、細かいところに気をとられず、勢いよく描けたのがかえってよかったのかもしれませんね。
――画面の使い方も大胆。見開きど真ん中に鬼のお尻が突き出されていたり、鬼の顔がはみ出すほど大きく描かれていたり、ページをめくるのも楽しくなる。
絵本はページをめくる時に驚きがあったり、気持ちをパッと変化させることができるので、工夫のしがいがあります。追いかけられている時は、めくる毎にどんどんどんどん近づいてくるとか。人がページをめくることで変化を表現できるのは絵本ならではだと思います。タブレットもスライドさせて絵を変えることができますが、絵本はページがふわっと起き上がる。立体的な動きによって、空気の変化も感じられると思います。
――『まゆとおに』の名脇役といえば、キツネだ。名前もなく、まゆと会話することもないが、まゆの行動に一喜一憂する姿がかわいい。
文章にはないキツネを描き加えることで、読む時の楽しみみたいなものを増やしています。例えば、まゆは鬼とはどんなものか知らないけれど、キツネは鬼が怖いものだと知っているので、まゆが鬼の誘いについて行くのを「これは大変なことになった」と心配したり、まゆが鬼を持ち上げる時は「やったー!」という顔をしてみたり。キツネを加えることで、お話を客観的にみることができたり、物語に厚みをもたせることもできます。
私には、小さい頃から大切にしているキツネのぬいぐるみがあって、狐には相棒のような近しい気持ちを持っています。それで、度々絵本に登場させたくなるのかな。ほかの絵本でも、お話の邪魔にならない、お話を壊さない程度に、面白みがあるものは付け足しています。子どもは絵をよく見ているので、侮れません。子どもたちが本の世界に入りやすいもの、これ見つけてねって思うようなものを描き込んでいます。
――シリーズは全7作。鬼のほか、龍、カッパ、うりんこ、カミナリなど、毎回さまざまな友だちが登場し、まゆと一緒に野山を駆けめぐる。ほかの作品に、それまでのキャラクターがちらりと顔を出すのも楽しい。
別の作品に登場させることで、続きのお話として楽しめるし、物語の世界観が広がるといいなと思っています。メインのキャラクターは富安さんが考えるので、私はタッチしていないのですが、こういうのを出してくれないかなというのは、編集者を通じてお伝えすることもあります。烏天狗とか白狐とか、妖怪みたいなものが好きなので、出してくれたらなと思いながら、何が出てくるのか待っているのも楽しみですね。
『やまんば山のモッコたち』には、絵本には出てこない、いろいろなモッコたちが出てくるので、合わせて読むと楽しいですよ。複雑なお話も絵本で親しんでから読むと入りやすいと思います。大人が読んであげてもいいし、大きくなってから自分で読むのもいいですね。やまんば山の世界が大きく広がりますよ。
絵本は作者と絵描きと編集者が一緒に作るもの
――子供の頃は小児喘息もあり、体が弱く、家で絵を描いたり、人形遊びをすることが多かったという降矢さん。
人形を主人公にしたお話を作ったりしていましたね。母(画家・降矢洋子)が子どもの絵画教室をやっていて、3歳くらいから私も通っていましたが、中学生の頃は、漫画家になりたいと思っていました。くらもちふさこさんと、手塚治虫さんが大好きで。でも、漫画家は週に1回締め切りがあると聞いて、私には絶対無理だと断念しました。
――その後、美大を受験するも、希望の学校に入れず、受験のために絵を描くことが辛くなり、諦めることに。母親の絵画教室を手伝いながら、福音館書店の編集者をしていた叔母の紹介で、絵の持ち込みをはじめた。
1年くらい経った頃、『めっきらもっきら どおんどん』のお話をいただきました。好きなように描いていいと言われて、浮世絵や古い日本画、絵巻を参考に、出てくるお化けのキャラクターを考えました。お化けの一人「もんもんびゃっこ」は、最初にいただいたテキストでは「ぎっことんこ」という名前でした。私が好きな白狐のお面にほっかむりをした絵にしたら、作家の長谷川摂子さんがそれを見て「狐、おもしろいわぁ。でもね、子どもってお面を見ると、その下にどんな顔が隠されているか気になって怖くなるのよ。いっそのこと狐の顔にしたら」と。さらに続けて「この狐、おもしろいから、絵に合わせてお化けの名前変えるわ」って言ってくださったんです。
ベテランの長谷川さんが、新人の私の絵を見て、ご自分が作り出したお化けの名前を変えるって言われたことにすごくびっくりしました。名前を決めるのも試行錯誤したと思うんです。それを「変えるわ」って。忘れられない出来事ですね。その時に、絵本は一方通行で作るのではなく、作者と絵描きと編集者と、みんなで一緒に作っていくものだと知ることができました。絵本が出来上がって、編集者の方がお祝いにフランス料理のお店に連れて行ってくださって、長谷川さんと3人でいろんなお話をしたのがいい思い出ですね。
――以降、絵本作家として順調に活動をはじめたものの、転機が訪れる。
自分は美大を出ていないので、もっと絵の勉強をしないと、この先続けていかれないんじゃないかという危機感がありました。当時、ロシアや旧東欧圏の短編アニメが好きで観ていたのですが、29歳のときに、旧チェコスロヴァキアの絵本を見る機会があって、ドゥシャン・カーライという作家に出会いました。彼が、ブラチスラヴァ美術大学で教えていると知って、スロヴァキアに行くことを決めました。苦労もしましたが、学生になって、自分の絵を描いていればいいということが嬉しくて、開放感の方が大きかったですね。
――卒業後、大学で出会ったペテル・ウフナールさんと結婚。以来、スロヴァキアで活動を続けている。今年、デビュー作の刊行から35周年を迎えたことを記念し、東京・銀座にある教文館で原画展が開催中だ。
絵本になると、原画で描いた色はそのまま出ない、やっぱりちょっと違う色になるので、ぜひ原画を見てほしいです。筆の跡や、絵の具の重なりも感じられると思います。私のものだけでなく、他の作家さんの原画展もやっていたら、どうぞ見に行ってください。
今は、自作の絵本、スロヴァキアのお話を描いています。その後は、チェコの民話の絵本も描く予定です。これまで、読み物の挿絵では描いていましたが、民話の絵本は初めてです。これから先も、スロヴァキアでの生活を織り込んだような絵本を作っていきたいなと思っています。