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メキシコの知られざる大衆漫画「イストリエタ」 ルチャ・リブレのレスラーら庶民の英雄像描く

ホセ・G・クルス「サント 白銀のマスクマン」301号(1954年)表紙=国際日本文化研究センター提供

 京都国際マンガミュージアムでは、日本の「マンガ」のみならず、世界各地のさまざまなコミックス文化を紹介している。この2月25日に最終日を迎えた展示が、同じく京都にある国際日本文化研究センター(日文研)との共同開催として企画された「メキシコの知られざる大衆漫画『イストリエタ』展―民俗文化としての漫画表現―」だ。

 スペイン語で「歴史」を意味する「イストリア」がいわば権威ある大きな物語といったニュアンスを持つのに対し、「イストリエタ」はそうした立派なものになりきらないような、庶民の小さな物語群という意味合いを帯びる。スペインのほか、メキシコやアルゼンチンなどスペイン語圏ラテンアメリカ諸国で、コミックスを指す言葉のひとつとして用いられてきた。日文研による大衆文化研究プロジェクトの成果を受けた本展は、メキシコにおけるこの文化をまとまったかたちで日本へ紹介する、おそらく本邦初の展示でもある。

 展示会場でイストリエタを見ていてまず気付かされるのは、20世紀前半における大衆文化としての急激な広がりだ。1930年代には『ペピーン』『パキーン』『チャマコ』といった名前の、街頭で販売される判型の小さな専門誌が相次いで刊行され、続く40年代にかけて民衆に人気の娯楽読み物として、互いに激しい競争を繰り広げていく。

 急速に拡大したイストリエタは、エリート主義的な文化の権威とは無縁の、野放図な想像力の小宇宙を構成していった。馬で大地を駆けるチャロ(メキシコのカウボーイ)たちやたくましく情熱的なヒロインたち、悪漢や幽霊、奇想と怪異の数々、笑いを誘うトリックスターやいたずら好きの子供たち――。そうした数々の〈小さな物語〉のなかでも、同じくメキシコの国民的文化であるルチャ・リブレ(プロレス)のレスラーたちを主人公とするヒーローもの作品はとくに興味深いもののひとつだ。

 50年代にイストリエタ産業を牽引(けんいん)した人気クリエーター、ホセ・G・クルスによる「サント 白銀のマスクマン」シリーズは、メキシコで最も有名な覆面レスラーであるエル・サントを主人公として、レスラーだけでなく様々な悪漢や怪物をも相手取ったその活躍を描いたものだ。

 そこで用いられている「フォト・モンタヘ」(写真素材を組み合わせる制作技法)や「メディオ・トノ」(薄めたインクなどによるモノトーンのグラデーションを用いる描画法)といったメキシコのイストリエタ特有の技法の組み合わせは、おぼろげな背景に写真の登場人物が浮かび上がる、白黒映画のスチール写真のような、そして時として超現実的にも感じられるような、独特の質感を持つイメージをつくりだしている。イストリエタのページの上に広がるこの虚実ない交ぜの大きな存在感は、国民的英雄としてのエル・サントをめぐる大衆の神話的イメージの形成にも大きく貢献しただろう。

 メキシコのイストリエタ産業は80年代以降、次第にその勢いを失っていくが、一方で近年ではその意義を捉えなおそうという機運がある。出展資料と解説を提供したメキシコの研究者たちは、知識人層からは俗悪と白眼視されながらも庶民へと開かれた読み物であったイストリエタこそが、近代メキシコの国民的アイデンティティーやライフスタイル、価値観などを表現してきた文化だと位置づけている。展示と併せて日文研によって制作された図録中の言葉を引けば「庶民街に咲く一輪の花」であったこの文化が、いかにメキシコの人々の暮らしのなかで愛(め)でられていたのか、日本でも更なる紹介が進むことを期待したい。=朝日新聞2020年2月25日掲載