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「東日本大震災9年」本でひもとく 生きた痕跡ふまえた復興を 大門正克・早稲田大学特任教授

硯を彫る遠藤弘行さんと、見つめる子どもたち=2011年10月、宮城県石巻市雄勝町、徳水博志さん撮影

 東日本大震災から9年。災害が全国で頻発するなか、「3・11」への関心の低下を感じる。とはいえ、問題は決して終わったわけではない。津波や原発・放射能被害をめぐる人びとの喪失感は依然として残り、復興の道のりは見えにくくなっている。

地域を受け継ぐ

 そのような状況で、川島秀一の、「震災前の三陸沿岸の、生活感覚や歴史的認識が排除された復興計画は必ず失敗する」という言葉が、切実に響く(大門正克ほか編『「生存」の東北史』大月書店・3080円)。

 川島は、宮城県気仙沼市で民俗を研究し、被災後にこの言葉を書いた。その指摘を受けとめ、人びとが生きた痕跡をふまえた復興のあり方を考えるために、3冊を紹介する。

 『復興に抗する』のなかで環境社会学の友澤悠季は、岩手県陸前高田市の広田湾開発問題をとりあげる。岩手県と陸前高田市は、1970年前後に広田湾の開発計画を提起した。漁民・市民らは、自らの地域を自ら治めるために反対運動をおこし、計画は撤回された。2000年代にこの問題を調査した友澤は、かつて広田湾問題を経験した人が語った「ここはここのやり方しかない」という言葉に、3・11後にたどりつく。

 この言葉には、復興を考える手がかりがある。「ここ」でくらす人たちは、判断や選択に悩むたびに「祖先」や「子孫」も含めて考えてきた、と友澤はいう。「何十年、何百年、あるいは一万年」の「時間の連なりを意識するたびに、人びとは、いまの自分たちだけの地域ではないことを確認し、足元を見直してきたのではなかったか」。

 政策や計画の言葉をたどるのではなく、友澤は人びとの傍らで耳をすます。過去から未来に続く地域の時間を受けとめて、地域を受け継ぐために模索する人びとの声が聞こえてきた。

 人びとが生きた痕跡を手放さないことが大事だろう。小さな痕跡を長い時間のなかで考えたとき、その復興は「ここ」のものになる。友澤が聞き取った言葉は、それぞれの地で生きる人たちにも届くはずである。

聞いてつなげる

 『聞く力、つなぐ力』は、震災発生後の岩手、宮城、福島県で、農業者の自主性を引き出すことを目的とした普及指導員たちの活動の記録である。印象的なのは、不安を抱く農業者に指導員が「聞く」ことからはじめて、試行錯誤を一緒に重ね、放射能への対応などにつないだことだ。指導員は、異口同音に聞くことの重要性と難しさを語る。被災状況のなか、聞くことが営農再開につなぐ際にはたす役割など、学ぶべきことは多い。

 宮城県石巻市雄勝(おがつ)で被災した小学校教師の徳水博志は、『震災と向き合う子どもたち』をまとめた。不安定な心身を抱える子どもをみた徳水は、自らの喪失感情とも向き合いつつ、地域復興を担う教育に携わる。子どもたちは、雄勝硯(すずり)やホタテ養殖の復活にとりくむ職人や漁師から学ぶことで、自分たちが住む雄勝を再認識できるようになり、何度も話し合い、自然と共に生きるまちづくりを考えた。

 ここには大事なプロセスがある。徳水は、子どもの心身の揺れや自らの喪失感情の原因は《関係性の喪失》にあり、《関係性の再構築》が必要だと考えた。子どもたちが自ら地域の復興を考える教育が、地域を見直し、関係性をつくり直すことにつながり、この過程で徳水もまた喪失感情を乗り越えることができたという。

 地域の将来が依然として見えにくいなか、復興の道のりにおいては、聞くことと話し合うことを重ね、人びとの生きた痕跡に根差した、地域としての誇りを取り戻すことがいかに大事かを、この3冊は示唆している。=朝日新聞2020年3月7日掲載