1. HOME
  2. コラム
  3. カバンの隅には
  4. 修学旅行で知ったこと 澤田瞳子

修学旅行で知ったこと 澤田瞳子

 先日、東京・地下鉄サリン事件から二十五年との報道に接し、「もう四半世紀か」とつくづく思った。

 当時、私は十七歳。その日は高校の修学旅行で長崎にいたが、出発前からその行程は波乱含みだった。二か月前に発生した阪神淡路大震災のため、新幹線で九州に向かう予定は変更。我々は在校生代表として三年生の卒業式に出席した後、大阪南港からフェリーで別府に向かった。今でも当時の同級生に会うと、「フェリーの雑魚寝は背中が痛かった」「せっかくの卒業式に普段着で参列してしまい、三年生に悪かった」との話が飛び出してくる。

 長崎での予定は、班別での市内見学。ただ集団行動が苦手な私はメンバーの承諾を得て、一人で街歩きをしていた。ほうぼうの観光名所でクラスメイトと出会う中で、「長崎駅で毒ガス発生だって」「さっきも先生たちが話していたよ。大変なんだって」との噂(うわさ)が聞こえてきた。

 本当に?と驚いたのは、つい数時間前に見た長崎駅の静けさと毒ガスとの言葉がそぐわなかったためだ。しかも物騒な噂の割に市内は静かで、救急車も消防車も走っていない。不思議に思いつつゴール地点であるホテルに戻ると、玄関脇のテレビが東京の地下鉄構内で毒ガスが撒(ま)かれたと繰り返し報じていた。

 私はデマを聞いたのだ。そう気づくと同時に、二か月前の阪神淡路大震災の際、「一週間後に大きな余震が来る」との噂が流れたと思い出した。無論、それは根も葉もないデマだったが、それでも「一週間後」のその日は私はおろか周囲の大人も、どこか怯(おび)えて一日を過ごしていた。

 デマとは決して、百パーセントの嘘(うそ)ではない。なまじどこかに事実が混じるから広まりやすいと、私は長崎で学んだ。あれから四半世紀、大事件に併せてデマが飛び交う様は今も変わらない。だから私は心騒ぐ話を聞くと、単身、長崎を歩き回ったあの日を思い出す。石畳の坂を登(のぼ)りながら、本当かなあと首をひねった気持ちは常に忘れずにいたい。=朝日新聞2020年4月1日掲載