こんもりとよそわれたご飯の上に、ぶつ切りにして煮込まれた白身魚や海老、イカ、帆立といった魚介類がごろごろと転がっている。一見すると炊き込みご飯のようだけれど、立ちのぼるほの甘い香りに心地よく鼻腔がくすぐられた。(中略)魚介の旨みがたっぷりしみ込んだご飯だった。東南アジアっぽい香味を含んだ魚介の煮汁もかけてあるから、ご飯だけでもいくらでも食べられそうだ。(「佳代のキッチン」より)
今回ご紹介する作品は、キッチンカーで移動調理屋をしながら、15年前にいなくなった両親を探す主人公・佳代のお話です。食材を持ち込めば、「調理代」として1品500円! で「いかようにも調理する」佳代は、両親ゆかりの地を巡るうち、一風変わった注文やちょっとした事件にも関わるようになっていき、現在までに3作続くシリーズです。佳代同様、著者の原宏一さんも料理好きとのことで、作中に登場するメニューや、旅先で出会った面白い料理などもうかがいました。
旅先で出会う、その土地の味
——キッチンカーで各地を転々と回りながら、お客さんから預かった食材でいかようにも調理する佳代ですが、そんな「移動調理屋」を主人公の職に選んだ理由を教えてください。
子どもの頃、僕の住む街には「ポン煎餅屋さん」という人がよくやってきたんです。初老のおじさんがリヤカーを引いて「ポン煎餅~~」という声が聞こえると、待ってましたとばかりに子どもたちが自宅から生米を持ってきて、「甘くして」「醤油味にして」などと味の希望を伝えるんです。すると、おじさんは生米に希望通りに味付けして、高温に熱した煎餅形の鉄皿にパラパラと撒き広げ、鉄蓋がついたレバーをぐいと引き下ろすんです。ほどなくして「ポンッ!」と爆(は)ぜて、サクサク食感の香ばしいポン煎餅が何枚も出来上がります。その一連の動作に、僕ら子どもたちは夢中になりました。おじさんに群がり、ポン煎餅をわいわいと味わう。笑顔の触れ合いが広がったものでした。そんな記憶が「移動調理屋」を思いついた原点です。持参した食材で好みの味に調理してもらえる喜びが、主人公の佳代が出会った人たちとの縁をおいしく取り持ってくれるに違いない、と。昔と違って規制などがあり成立しない商売かもしれないけれど、こんな商売があってほしい、という願望も込めて、佳代に「移動調理屋」をさせることにしました。
——佳代は訪れる先々で漁港や市場に出向いていますが、 原さんご自身もどこかへ出かける際に漁港や市場に立ち寄ることが多いのですか?
食いしん坊体質で料理好きな僕にとって、市場・スーパー・食材店の「三店セット」は大好物です。常日頃から近所の三店セットをはしごして歩くのは当たり前で、どこかへ出かけた時は、国内外を問わず、三店セットに加えて地元漁港にも行ってみます。
——食いしん坊としては、その土地の食べ物は気になりますよね! これまでに旅先で出会った印象的な食べ物はありますか?
何年か前、ドイツ・フランクフルトの「クラインマルクトハレ」という市場に訪れたところ、店のショーウィンドーに生の豚ひき肉が山盛りになっていて、隣には「ブロートヒェン」という丸パンがどっさり置いてあるから「そのひき肉を焼いてハンバーガーみたいにするんだろうな」と思って注文したんです。ところが店員さんは、慣れた手つきでひき肉を生のままパンに挟んで「はいよ」と差し出したんです。「え?」と戸惑っていると、店員さんは苦笑して「おいしいよ」と生肉をつまんで食べて見せる。恐る恐る食べてみると、塩や香辛料で味つけされていた生肉がおいしかったんですよ。生の牛肉を使ったタルタルステーキとはまた違って、豚ならではのネットリした旨味が口中に広がり、瞬く間に食べてしまいました。(*日本では生の豚肉は食べられません)
——佳代のモットーは、その土地の水を使って調理することですが、やはり地の食材と水の相性ってあるのでしょうか?
『関西は軟水が多いため、軟水と相性がいい昆布出汁が使われるが、関東は硬水が多いため昆布出汁が取りにくく、かつお節の濃い出汁が使われるようになった』と言われるように、水の成分や味は土地土地によって微妙に違います。当然、その水で育った食材の味も違ってくるから、料理の味も違ってきます。だから、その土地の料理を食べ続けてきた人の口に合う料理は、その土地の水で作った料理であり、逆に、旅先で食べた名物料理を帰宅して作ってみたら何かが違う、なんてことも起きるわけですね。
——私は魚の調理法のバリエーションが少なくて、大体「焼く」か「煮る」のどちらかになってしまうんです……。作中で佳代が作る魚のレシピはとても参考になります。
僕は気になる飲食店にはまめに足を運ぶし、旅先でも、名所見物より食べ歩きが主なんです。料理本や料理サイト、テレビの料理番組などを観て「これ、おいしそう」と思った料理や食材は、すぐ自宅で試してみます。と言っても、レシピ通りに作ることはまずありません。「こんな感じかな」と見よう見まねで再現したり、こう変えたらどうか、と自己流のアレンジを加えたりする。その分、失敗も多いんですが(笑)。同じく料理好きの妻と感想を言い合いながら楽しんでいるうちに「これ、佳代に使えるね」という料理が出てくる感じです。
——例えば本作に出てくる料理だと、どんなものがありますか?
僕が世界一好きな料理は鮨なので自分でもよく握るのですが、腹一杯食べられるように山ほど握ってしまい、余ることがままあるんです。冷蔵庫で保存して翌日食べると味が落ちて、ちょっと残念に思っていたら、たまたま韓国を旅した時に、海苔巻きの天ぷら「キムマリ」に出会ったんです。「巻き鮨を揚げるの?」と驚いたものの、食べたらおいしい。「だったら握り鮨でもいけるかも」と衣をつけて揚げてみたら、これまたおいしかった。以来、鮨を握った翌日の定番料理になり、「鮨天」として本作の第一巻に採用したのでした。
——「佳代のキッチン」の名物になっているのが、ご飯に地の魚介類を煮た汁ごとかけた「魚介めし」です。元々は「理想郷」を探し求めて全国を放浪していた佳代の両親が作っていたメニューですが、図らずも佳代が受け継ぐことになりました。ごはんと一緒に炊き込んだ「パンダンリーフ」が味の決め手のようですね。
この魚介めしも、僕の自己流アレンジから生まれた料理です。シンガポールを旅した際に、現地の「海南鶏飯(かいなんけいはん)」に感激し、帰国後、上野のアメ横で買ったパンダンリーフを入れて作ってみたのですが、その時ふと、魚好き根性が頭をもたげて「魚介でやったらどうなるだろう」と試したのが始まりです。見た目は炊き込みご飯っぽいんですけど、魚介の旨みに加えて「東洋のバニラ」とも呼ばれるパンダンリーフ独特の甘い香りがふわりと立ちのぼって、不思議な異国情緒が味わえますよ。
佳代の両親は、既成の価値観にとらわれない、自由なライフスタイルで生きていました。そこから考えると、シンガポールの海南鶏飯を原型に、日本の鯛めしと融合させた「魚介めし」も、両親にとっては自由な発想から生みだした、お気に入り料理だったのかもしれません。そして佳代にとっては、姿を消した両親の形見的な料理なんでしょうね。なので、自分なりの工夫を取り入れながら、店の名物として引き継ぎたかったのでしょう。