食事の喜びとは贅沢(ぜいたく)な食事をたくさん食べることだと考える人が多いと思います。でも本当の喜びは食事の「多様性」と「振れ幅」にある、と思います。
ミシュランの星があるような高級レストランの料理は、確かに素晴らしいけれど、毎日食べ続けたら飽きるし、その前に身体が悲鳴を上げ早々にこの世からおさらばしかねません。そもそも医学的に贅沢で美味(おい)しいものばかりを食べてはいけないのです。
時に粗食や不味(まず)い飯も食さないと逆に人生が貧しくなります。人生において最終的な総和はゼロになるというのが私の持論ですので、どこかでマイナスを消化しないといつか手ひどいしっぺ返しを喰(く)らうことになる。もちろん世には幸運な人がいて、美味(うま)いものばかりを大量に食せる人生を送る人もいるかもしれません。でもそんな人はどこか別の場所で猛烈な不運を抱え込むことになるはずです。
いや、心貧しい私としては正直、そうあってほしいと願いたい(笑)。
二〇年前、スペインの国際学会に参加した後、モンセラート教会に行きました。山頂近くの修道院の合唱団が素晴らしいと聞いて見に行ったのです。その時の寒さったらなく、早朝に出発したので朝飯も食べず、寒さと空腹に震えました。あいにく山頂に食堂はなく、小さな売店で「ソパ・デ・アホ」(ニンニクスープ)を頼みました。
すると紙コップで出されたのは薄い薄いコンソメスープもどきでした。温かいだけが救いのスープの味がなぜか忘れられません。もう一度飲みたいとは絶対思いませんが、そのスープの印象は、贅沢な食事の印象が薄れても今もありありと覚えていて、その後スペイン料理店に入ると「ソパ・デ・アホ」を必ず頼むようになりました。
翌日はバルセロナ市中のお城のようなレストランで豪勢な食事をしたのですがなぜか貸し切り状態で、食事を終え「エスタバ・トド・ムイ・ブエノ」(とても美味しかった)と言いました。
それはガイドブックの単語を丸暗記して言っただけです。
するとウエイターが他の店員を連れてきて、もう一度言え、というのです。
要望に応じて繰り返したら拍手喝采されました。私はその後、ラテンアメリカの取材旅行でかたことのスペイン語を使うようになるのですが、年のせいか簡単な言葉もなかなか覚えられません。でもなぜかこの言葉だけはいつもすらすら出てくるのです。
多様な人生を書くことが仕事である作家は、どんな食事でも喜んで食べられるものです。粗食や不味い食事があって初めて美食の本当の価値がわかるのです。振れ幅の大きい食事というと私はこの時のスペインの食事を思い出すのです。=朝日新聞2020年4月11日掲載