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「禅ってなんだろう?」書評 自分の仏としての働きに気づく

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月09日
禅ってなんだろう? あなたと知りたい身心を調えるおしえ (中学生の質問箱) 著者:石井清純 出版社:平凡社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784582838343
発売⽇: 2020/03/21
サイズ: 19cm/221p

中学生の質問箱 禅ってなんだろう? あなたと知りたい身心を調えるおしえ [著]石井清純

 大方の人間が死の不安を抱き、「一切皆苦」、思いのままにならない苦から逃れられない。お金も社会的名誉も欲しい。こんな煩悩の苦しみが、ただ坐(すわ)って自分をみつめることで解消できるなら座禅を始めたい。
 ところが煩悩などはじめから存在しないのだ。さあ困った。「これ、煩悩だなあ」と悩む気持ちは何なの?と本書の質問者は問う。その答えは「自分の仏としてのはたらきに気づけていない、本当の自分が見えていない状態だ」。
 中学生を対象にした禅についての一問一答集だが、観念と知識でがんじがらめのインテリさんにとっては、難解な公案、禅問答だ。禅は「知る」とか頭で「理解する」のではなく、ただ「気づく」のである。仏を自分の外に求めるのではなく、自分が仏であることに気づく。意味はわかるが、実感できない。だったら「只管打坐(しかんたざ)」、ただ坐って、「身心脱落(しんじんだつらく)」を体験する。そして「悟る」(笑)。
 悟るとは? 道元禅師に言わせると、「どこか足りない」と思うことだ。大悟に至るためには小悟を何度も重ねていく。
 僕は40歳の頃、初めて参禅を試みた。訪ねた禅寺の老師に「何しに来られた?」と訊(き)かれ、「ハイ、悟りに来ました」と答えた。「人は生まれながらに悟っておる。悟った上にさらに悟りたい欲のために来られたのか」。この瞬間、禅にイカれて禅寺を転々。禅にとりつかれてしまった。
 禅には戒律はないのに僕はがんじがらめの戒律で身動きがとれなくなって、その挙句(あげく)、1年後に「ヤーメタ!」と禅寺を後にした。禅は肯定の思想であるが僕は自己否定をした。その後、時を経て日常生活の中に禅を「気づく」ことに気づいた。事実を事実として見ることの極意に。
 禅とは今を見つめるおしえで、今は常に流動しておる「いま」だ。その変動の中で自分を見つめ続けることだと著者の僧侶せいじゅん先生は結ぶ。
    ◇
いしい・きよずみ 1958年生まれ。駒澤大教授(禅思想研究)。著書に『禅問答入門』『道元 仏であるがゆえに坐す』。