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「まつろわぬ者たちの祭り」書評 復興掲げる「縫い合わせ」を拒絶

評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月16日
まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判 著者:鵜飼 哲 出版社:インパクト出版会 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784755403033
発売⽇:
サイズ: 19cm/287p

まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判 [著]鵜飼哲

 来年に延期された東京オリンピック・パラリンピックを「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証(あかし)」(安倍晋三首相)と改めて位置付けているが、たった二カ月前まで、必ずしも開催に積極的ではない国民を妥協させるため、むやみに「復興五輪」と連呼されていた。
 「現実には『復興妨害五輪』なのに『復興五輪』であると言い募ることは、現実の復興を復興のイメージで置き換えることにほかなりません」と語る著者は、「リサイクル・ナショナリズム」との言葉を用いる。「夢よもう一度」と浅はかに意気込み、「二〇一一年三月の複合災害によって引き起こされた社会的亀裂、国家的危機」を打破しようとした。
 オリンピックは「国家原理と個人体験の裂け目」を強引に縫い合わせる攻撃的な性格を持ってきた、との視座は、強制配布される布マスクを待つ間にお手製マスクで急場をしのぎ、「絆」や「みんなで一つに」などというスローガンを走らせる現在にも通用する。
 一つの論考を除き東日本大震災以降に記された評論集は、その強引な縫い合わせをどう拒絶すべきかを打ち出す。かつてのスローガンが「がんばろう神戸」だったのに対し、なぜ先の震災では「がんばろう日本」だったのか。福島が「フクシマ」とカタカナ表記されるとき、「最も深刻な苦しみのなかにいる人々が、この言葉で指示されえないことを忘れてはならない」。命名とは政治的なものであり、「『中心』を設定する力が働いている」。そこに狭隘なナショナリズムがいぶく。
 「『東京へゆくな』二〇二〇」と題された序文に、「『力をつくして未来の前に立ちはだかること』が『未来にたいする唯一の正当な儀礼』であることは、かつても今も変わらない」とある。一年後に延期されたオリンピック。新型コロナウイルス対応の不備が「スピード感を持って対応する」の連呼で矮小化される現在、「祝賀」の「再稼働」を見張る必要があるだろう。
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うかい・さとし 1955年生まれ。一橋大特任教授(フランス文学・思想)。近著に『テロルはどこから到来したか』。