百年に一度ともいわれる感染症の流行で外出が制限された週末、ながいながい物語を夜も昼もなく読んでいた。作家、古川日出男さんの『おおきな森』(講談社)。原稿用紙で1600枚、単行本の厚みが7センチに迫る超大作は、不確かな現実にとまどう読み手を幻想の森へと引きずり込む。
うわごとのようなモノローグ、せりふの反復、演劇的な場面の連なり。それらが過剰なまでの熱を帯び、物語を動かしていく。物体としての本の巨大さは、その象徴ともいえる。
「僕は個性や才能といったものは、すべて過剰さだと思う」と古川さん。過剰さは抑圧され、矯正されてしまいがちだが、「とにかく過剰なものを解放していく、抑圧されずにやっているということを態度なり作品で示す。それが表現者の役割だと思う」と語る。
過去作のうち、自ら「メガノベル」の系譜に連ねるのは、日本推理作家協会賞と日本SF大賞の2冠となった出世作『アラビアの夜の種族』(2001年)、自身のルーツである東北を舞台にした『聖家族』(08年)。3作目となる大長編の背景には「この世界に立ち向かうために、現実を丸ごと許容できるぐらい大きいものをつくりたい」との思いがあった。
コロナ禍の現実を「SFの世界にいるようだ」と例える声も耳にした。「現実がSF化しているときに太刀打ちできるのは幻想を含んだ文学世界であるし、現実世界の巨大さに対峙できるだけのボリュームを持った本を書きたいという思いは、最初からありました」
本作の着想は17年2月、存在しない漢字の一文字が頭に浮かんだのがきっかけだった。「森」の下に、木が三つ足された「木が六つの森」。「森」が過剰になったその字は、「おおきな森」と読むのがふさわしいと思えた。そこから、果てのない物語が生まれた。
あらすじは意味を成さない。冒頭「第二の森」で描かれるのは、ラテンアメリカの作家たちを思わせる丸消須ガルシャ、振男・猿=コルタ、防留減須ホルヘーの3人が、乗り合わせた列車で不可解な殺人に遭遇する時空。続く「第一の森」では一転して、文士探偵の坂口安吾が失踪したコールガールの行方を追う。さらには、小説家の「私」が主人公となる「消滅する海」の章が挟まれ――。
謎めいた隠喩と思いもよらない連想が、物語に詩的な飛躍を与える。中国東北部の満洲と、日本の東北で宮沢賢治が幻視したイーハトーブがつながり、賢治の『銀河鉄道の夜』と、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が連結する。
「宇宙の内側と外側を連想でつなげてみて、それを飛び石のようにして意識だけでも外に出てしまう。連想のちからは、宇宙の外側に出られない人間が、外に出るカメラを持つための大事なエンジンだと思う」
それは狂気と紙一重の危険な行為でもあるが、「僕は文学は危なくなればいいと思いますよ。不良少年少女を育てるために、文学があるべきだとすごく思います」。太宰治や三島由紀夫の名を挙げ、「谷崎潤一郎を初めて読んだときに『ただの変態じゃん』と思うのが正しい読書なわけで。正しさに戻りたいなと」。
地球規模のパンデミックで日常が失われ、現実が猛威を振るう。フィクションはどうあるべきなのか。
「どうもこのところ小説は現実にこびて、現実っぽいことをやろうとしてきた。だから本質をむき出しにして、ファンタジーを駆動力にして現実を超えようとする姿をもう一度あらわにすれば、このグチョグチョになってしまった世界とがっぷり四つに組める。僕は、まったくあきらめてないです」(山崎聡)=朝日新聞2020年5月21日掲載