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『徳川秀忠』『「関ケ原」の決算書』 研究・マスコミ両立 最期まで現役 朝日新聞書評から

評者: 呉座勇一 / 朝⽇新聞掲載:2020年06月13日
「関ケ原」の決算書 (新潮新書) 著者:山本博文 出版社:新潮社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784106108594
発売⽇: 2020/04/17
サイズ: 18cm/252p

徳川秀忠 (人物叢書 新装版) 著者:山本博文 出版社:吉川弘文館 ジャンル:伝記

ISBN: 9784642052962
発売⽇: 2020/02/26
サイズ: 19cm/286p

徳川秀忠/「関ケ原」の決算書 [著]山本博文

 この2冊は、今年3月に急逝した著者の遺著である。『「関ケ原」の決算書』の校正終了直後に没したという。
 学者はマスコミへの露出が増えて名前が売れると、本業が疎(おろそ)かになり本を粗製乱造しがちである。著者の活動には批判もあったが、メディア活動と研究活動を両立させた希有な歴史学者だった。
 『徳川秀忠』は初代徳川家康と三代家光の間に挟まれて影の薄い江戸幕府二代将軍の評伝である。秀忠は関ケ原合戦に間に合わなかった凡庸な武将と見られてきた。
 だが家康は当初長期戦を想定しており、秀忠に与えた任務も信州上田城の真田昌幸を降参させることだった。戦局の急変により家康は秀忠に急ぎ西進するよう命じるが、その使者は川の増水で秀忠のもとに着くのが遅れた。著者は、家康が秀忠の遅参を叱責(しっせき)した話は後世の創作であると指摘する。
 とはいえ、天下分け目の戦いに参加できなかった屈辱は、秀忠の心に暗い影を落とした。大坂の陣では和戦両様の家康に反発して主戦論を唱え、豊臣秀頼の切腹にこだわった。偉大な父が死に、名実ともに天下人となった後も、福島正則の改易や紫衣(しえ)事件に見られるように、自分が軽んじられていると感じると激怒し、頑(かたく)なになった。
 ただし、これらはあくまで例外で、総じて秀忠は公正で理性的な政治を行った。著者は、秀忠の軍事的能力を疑問視するが、幕府を盤石にした政治力は高く評価する。
 『「関ケ原」の決算書』では、関ケ原合戦でどれだけのお金が動いたかを試算している。「現代の価値に換算すると?」といった質問に私もしばしば接するが、なかなか答えにくい。著者は、米1石を8万円、五公五民と仮定して大名の年貢収入は石高の半分、大判金貨1枚を350万円、銀10両を35万円という具合に大胆に推計し、これらに基づき概算を示す。
 著者によると、関ケ原合戦までの3カ月間で、東西両軍は食費だけで50億円を消費した。だが真に驚くべきは戦後処理による財産移動だ。西軍から没収し東軍に与えられた領地は現代価値に換算すると約2700億円である。
 豊臣家と徳川家の力関係も逆転した。秀頼は年収1286億円から185億円に転落した。逆に家康は604億円から1890億円に上昇した。関ケ原の勝利で徳川の天下は確定したと言えよう。
 『秀忠』の見どころの一つである本多正純・土井利勝らとの関係、『関ケ原』で重視する島津義弘の動向は、著者の初期の研究に基づく。〝原点回帰〟と言えよう。
 一方で関ケ原論争など、最新の研究動向にも目配りしている。最期まで現役の研究者であり続けた著者の早すぎる死を惜しむ。
    ◇
 やまもと・ひろふみ 1957~2020。東京大史料編纂(へんさん)所教授(近世政治史)。著書に『寛永時代』『幕藩制の成立と近世の国制』『江戸お留守居役の日記』(日本エッセイスト・クラブ賞)など。