初夢で見た地獄の平社員「オニガワラ ケン」の一日
——「わし、オニでんねん。すんまへん。/じごくづとめの サラリーマン。/ きょうも、げんきに おはようさん。」ぴたっときれいになでつけられた七三ヘアーにドクロ柄のネクタイ。手にする名刺には「じごくカンパニー ひらしゃいん オニガワラ ケン」。「おとうちゃん、いってらっしゃい。おみやげ、かってきてな」と子鬼たちにせがまれるも、「あかん、あかん。きゅうりょうびまえや」。今日もぎゅうぎゅうの満員バスに乗って地獄にご出勤——。なんとも愛すべき「鬼のおとうちゃん」が誕生したのは、児童文学作家の富安陽子さんが見た、ある年の初夢からだった。
『オニのサラリーマン』(福音館書店)ができたのは初夢がきっかけだったんです。子どもの鬼が「いってらっしゃ〜い」と赤鬼のお父さんを玄関で見送っている。赤鬼がバス停まで行くと、出勤途中の鬼たちがほかにもずらっと並んでいて、「どこに行くんだろうな」と思っていたら、なんだか怪しげなバスが来るんです。バスの表示は「地獄の正門行き」。地獄に着いて閻魔さまにご挨拶したら「じゃあ、今日は血の池地獄の監視、頼むわ」。赤鬼がプールの監視員みたいな椅子に座って見張るんですが、いつの間にかうつらうつら眠くなって……絵本ではその後あることが起こって大騒ぎになりますが、オチのところでハッと目が覚めました。
結構ヘンテコな夢を見ることが多いんですが、このときの夢は起承転結があってすごく完成度が高かった。「忘れないうちに書いておこう!」と思って、すぐに物語を15場面に分けてその日のうちに原稿にしたんです。出来上がったものを担当さんに見せたら「面白い!」と言ってくださり、絵本にすることになりました。
「よく夢をそんなに詳しく覚えていられますね」と言われますが、これはこれまでの鍛錬のたまものですね(笑)。だいたい、明け方の半覚醒時に夢を見ることが多いのですが、「アッ、面白い夢を見たな」というときには、ベッドの中ですぐにストーリーを15場面に割っておく。夢はイメージの連続なのでとりとめがないものですけど、そういうふうに「場面割り」しておくと絶対に忘れないんですよね。
もう一つ夢を元に作った絵本があります。昨年、父が亡くなりまして、その葬儀の夜に見た夢なんですが、山歩きしていると、冬枯れの景色の中で桜の咲き誇る谷間が見えてくる。楽しそうな歌声が聞こえてくるので、近寄ると満開の桜の下で色とりどりの鬼たちが車座になって花見をしているんです。
鬼たちはお重を広げていて、中身はとんかつ、たまご焼き、牛肉のしぐれ煮、ちくわの炊いたもの。私の母が運動会のときによく作ってくれたメニューなんですよ。食べ終わったらなぜかかくれんぼをして遊ぶんですが、私が「鬼」になって一生懸命探すうちに、亡くなった父や母、祖母の面影が鬼たちと重なってくるんです。「なんだ、いなくなったと思っていたらみんなここで遊んでいたのか」と笑ったところで目が覚めた。この夢をモチーフにして作ったのが、今年出版した『さくらの谷』(絵・松成真理子/偕成社)という作品です。
コワモテだけど愛嬌たっぷりのキャラクター
——ときにサラリーマンの哀愁も漂う鬼のおとうちゃん、「オニガワラ ケン」。絵を担当した大島妙子さんとやり取りする中で、どんどんリアルな魅力が増していったという。
オニガワラさん、地に足ついた生活感がありますよね。絵を担当してくださった大島妙子さんとラフをやり取りしていくうちに、キャラクターが肉付けされていきました。たとえば、出勤のときはスーツにネクタイ姿なんですが、職場に着くとロッカールームで「鬼のパンツ」に着替えるんですね。これは大島さんのアイデアです。初めてラフを見たときに「あ〜、鬼のパンツってユニフォームだったんだな」と納得しました。
ラフ段階で大島さんからいろいろ質問をもらったんですが、そのメモ書きがいつも楽しくて。亡者が出てくるシーンに、「全員、三角巾を着けたほうがいいでしょうか」と書いてあったりするんです。続編の『オニのサラリーマン しゅっちょうはつらいよ』(福音館書店)では、オニガワラさんが飛行機に乗りますが「金棒は出張先にも持参したほうがいいですか?」「飛行機の保安検査室は金棒OKでしょうか」などの質問も。大真面目に細かいところまで考えて、『オニのサラリーマン』の世界を作り上げていきました。
閻魔大王が登場するシーンで脇に控えるのは小野篁(おののたかむら。平安時代の官僚、歌人。閻魔大王の右腕としてこの世と地獄を行き来したという伝説がある)。言い伝えの通り、ちゃんと秘書として仕事をしています。オニガワラさんがつい居眠りをしたすきに、血の池地獄の亡者たちが「蜘蛛の糸」を伝って逃げ出すところも好きなシーン。先頭にいるのは芥川龍之介『蜘蛛の糸』の大泥棒カンダタなんですが、よく見ると彼の瞳に写り込んでいるのは極楽の蓮の花。「極楽まであと一歩!」ということが分かります。隅々まで絵を見るといろんな発見があって、より楽しめるのではないでしょうか。
「地獄」や「鬼」が登場する絵本ですが、子ども向けに恐ろしさを薄めるとリアリティーもなくなってしまいます。鬼という仕事柄、コワモテだけど、愛嬌もあって優しいおとうちゃん。サラリーマンとして地獄で働く鬼、という血の通ったキャラクターを大島さんは見事に造形してくれました。もう一つは「大阪弁」の効果でしょうか。原稿を書くときに「わし、オニでんねん。すんまへん。」というフレーズがぽっと思い浮かんだんですが、大阪弁が持つひょうひょうとしたおかしみ、盛り上がったときの言葉の勢いやリズムが、物語にフィットしたと思います。
メアリー・ポピンズから妖怪の世界へ
——続編の『オニのサラリーマン しゅっちょうはつらいよ』では、出雲への出張、3作目『オニのサラリーマン じごくの盆やすみ』(いずれも福音館書店)ではお盆休みがテーマだ。
2作目はちょうどサミットのニュースを見ていて「出雲の神集いは、八百万の神様たちのサミットだな」と思い付きました。サミットのときって全国各地から警察官が警備に駆り出されるんですよね。きっとオニガワラさんたちも「神さまサミット」があったらお手伝いに行くかもしれないな、と思いストーリーを作りました。
3作目のテーマは「お盆」。地獄の釜の蓋が開いて、亡者たちがこの世に戻ってきます。お盆の時期に行うお施餓鬼(せがき)は地獄に落ちてしまったものへの供養なんです。だから地獄の亡者たちもお盆は「里帰り」して、無礼講でお供えをいただいて……そんなイメージですね。実は「オニのサラリーマン」シリーズの4作目も進行中。来年には読んでいただけると思うので楽しみにしてください。
——絵本「やまんばのむすめ まゆのおはなし」シリーズ(福音館書店)ではやまんば、児童文学「シノダ!」シリーズ(偕成社)では化け狐、「妖怪一家九十九さん」シリーズ(理論社)では妖怪たちがモチーフ。日本の風土に根ざしたファンタジー作品を数多く手がけてきた。神話や伝承、民俗学などの深い知識に裏打ちされた物語には厚みがある。
小学校4年生までは、ミルンのくまのプーさん、ナルニア国、指輪物語、ムーミン一家など、海外の児童小説ばかり読んでいたんです。特に好きだったのは「メアリー・ポピンズ」のシリーズ。毎日、空を見上げては「メアリー・ポピンズが飛んできたら、うちに来てもらおう」と空想していましたが、あるときふと「ナニーが住み込みできるような部屋がわが家にはないわ」と気づいて(笑)。それからは、あんなに好きだった翻訳ファンタジーの世界にすっと入り込めなくなってしまいました。
一方で心にずっと残っていたのは、小さいころ祖母から聞いた不思議な話の数々。祖母は長崎県の佐世保の出身で一時期、対馬に住んでいたのですが、「対馬では、河童を毎年見かけた」と言っていました。対馬の河童たちは春と夏は海に住み、秋になると山に行き「山童(やまわろ)」として暮らしているそう。満月の夜、家の障子をちょっと開けると細い声で「ひょうーひょうー」と鳴く河童の声が聞こえる。大潮でいつもは波の下に隠れている岩が点々とむき出しになっている。そこをぴょんぴょんと「磯渡り」しながら河童たちが山へ向かうのを見ていた——そんな話をいつも祖母から聞いていました。
海外のファンタジーで満足できなくなってしまったのなら、自分で物語を書いてみよう。河童や化け狸、祖母から聞いたいろんな日本の妖怪たち。私の住んでいるこの国、この部屋と地続きの不思議な世界を作り出してみたい……そこからずっと「日本の風景に息づくものたち」の存在を物語に書いてきました。小4のときのこの思いが、私の創作の原点かもしれません。