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「フルキャリ」女性の悩み、本でひもとく 母でなく「一個の人間」として 育休後コンサルタント・山口理栄さん

面接会場を訪れ受付に並ぶ就職活動中の女子大学生ら=2018年6月1日、東京都千代田区、越田省吾撮影

 10年前から、育児休業から復帰して働き続ける労働者の支援をしてきた。2010年以降、第1子出産前後の女性の就業継続率は53%となり、初めて半数を超え、正規雇用者に限ると約7割が仕事を継続している。職場では彼女たちの活躍に期待しているが、マネジャーと本人の間には意識のすれ違いがある。

 武田佳奈著『フルキャリマネジメント』は子育てにも仕事にも前向きな働き手を「フルキャリ」と名付け、キャリア重視の「バリキャリ」でも、私生活重視の「ゆるキャリ」でもない新しい価値観を持つこの層への正しいマネジメントが必要と説く。著者の調査によれば、子育てしながら働く女性の約半分がフルキャリである。この層に対して男性管理職の8割が「子どもが小さいうちは仕事より子育てを優先できることが望ましい」と考えているが、フルキャリの7割は管理職の育児への配慮を「ありがたいが、仕事も頑張りたいのでもどかしい」と答えている。こうした内容を伝える研修を行う中で、管理職の意識も変わってきたように思う。

 ところが、フルキャリ女性たちの悩みはまだまだ深い。職場の理解は改善してきてはいるものの、家庭では育児と家事を女性である自分が主に担わなければならないという親世代から引き継いだ性別役割分業意識が色濃く残っているのである。

60年前の主張が

 梅棹忠夫は『女と文明』の中で、サラリーマン家庭の原型は近世武士の家庭であるという。そこでは男性だけが働き、家に残った妻は家事労働に自分の存在意義を見いだしていくが、それは次第に専門業者や家電製品にとって代わられていく。この延長では妻の存在意義は薄れるばかりであり、脱出口として「妻であることをやめよ」と梅棹は言う。女自身が男を媒介とせずになんらかの生産活動に参加せよと。それに異を唱え、母であることで自身の存在意義を主張する女性たちにも容赦ない。「一個の人間であるところの女が『母』で勝負しなければならないということは、やはりたいへん非人間的なことのようにわたしはおもう」「母という名の城壁のなかから、一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいだろうか」とまで言うのだ。

 驚くべきは、ここで触れた論文が書かれたのが1959年ということだ。高度経済成長期、つまり専業主婦の妻のいるサラリーマン家庭が大量に生まれる前なのである。なんと先見の明のあったことか。そしていまだに彼のいう夫婦関係が日本では実現していないことが悔しい。

思い込み排して

 海外ではどうか。米オバマ政権時にクリントン国務長官の元で外交政策を担当したアン=マリー・スローターは、やる気さえあれば仕事と育児は両立できる、という考えに違和感を持ち『仕事と家庭は両立できない?』という本を書いた。彼女は、職場での女性について男性が偏見を持つのと同じように、家庭での男性の姿について女性の中にある種のステレオタイプが深く刷り込まれていると言う。米国人女性の大半は、家事に関しては子育てから料理まですべてにおいて男性よりも女性の方が達者だと思い込んでいるというのだ。専業主夫を好奇の目でみることや、育児や介護をする男性を男性らしくないと思うことは偏見であると気づくべきだ。そして著者は、スーパーウーマンの称号をあきらめ、育児家事の主導権を夫とともに持つ自分を想像せよ、と問いかける。

 日本のフルキャリたちも一個の人間としての生き方を意識し、思い込みを排して夫と協力することで初めて悩みから解放される。政府目標の女性管理職比率30%の達成は、その延長にしかあり得ない。=朝日新聞2020年7月4日掲載