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若者たちに伝えたい、良書の奥行き 日本財団会長・笹川陽平さんの本棚

富や権力より悔いなき人生

 本を読まない若者が増えていると聞きます。今はスマートフォンで何でも調べられますが、そこで得られるのは浅い知識ではないかと思います。読書から得られるのは知識の奥の大切な何か。どう自己を確立するか、どう悔いなく生きるか、といったことへの示唆です。例えば『双調 平家物語』は、惜しくも昨年亡くなった橋本治がその筆力を遺憾なく発揮した古典の現代語訳。古代中国や飛鳥時代まで遡(さかのぼ)って平家をひもといています。長編ですが、核心は「祇園精舎の鐘の声」に始まる冒頭に凝縮されています。誰にも平等に死は訪れ、栄えた人もいつかは滅びる。富や権力を欲して何になるのか、自分が納得できる生き方をすればいいではないか。解釈は人それぞれですが、私はそのような読み方をしました。

 読書は日本財団の職員にも奨励し、読んだ本のリストを提出してもらっています。目安は年に30冊。達成した人には私のポケットマネーでごちそうしています。かく言う私自身、本格的な読書は50歳を過ぎてから。それまではビジネス関係やハウツー本などが中心でした。今は重厚なシリーズ本を読むことが多く、『日本の近代』もその一つ。黒船来航から戦後の経済発展に至る日本の歩みを知ることができます。

 常々言われることですが、日本の教育現場では近現代史を詳しく教えません。しかし海外に行くと、子どもたちは自国の歴史をよく知り、文化や伝統に誇りを持っています。日本財団はミャンマーにおける人道支援を長年行い、私も何度も足を運んでいます。現地の子どもたちは、十分な図書環境がないにもかかわらず、向学心が旺盛。そうした様子を見るにつけ、日本の若者の読書離れを残念に思います。

 初代会長の父・良一の代から中国との交流も長く、日本の図書を中国の大学に寄贈する活動は20年にわたります。当初は中古本を寄贈していましたが、裁断されて初めて損金と認められる出版各社の大量の在庫本について、「寄贈すれば損金と認めてほしい」と財務省にかけ合い、それが認められてからは出版社の協力も得られるようになりました。その一方、西側諸国の本の輸入を厳しく制限していた中国側に働きかけ、制限を緩めてもらいました。現在は寄贈本のリクエストに応える体制を整え、中国の図書管理者を日本に招聘(しょうへい)して司書スキルを磨くお手伝いもしています。これまでの寄贈数は70以上の大学に約380万冊。昨今は漫画やアニメをきっかけに日本語を学ぶ中国の若者が増え、併せて日本語の書籍への関心も高まっています。本を通じた国際交流を変わらず続けていくつもりです。

人生の終盤に残してある読書のチャレンジ

 私の読書に話を戻すと、歴史小説もよく読みます。題材は同じでも作家によって光の当て方が異なり、例えば西郷隆盛は、海音寺潮五郎や司馬遼太郎など多くの作家が書いているので、読み比べが楽しい。幕末で言うとアーネスト・サトウが手記に残した人物評なども面白いですね。好きな作家は、吉村昭。『吉村昭歴史小説集成』も繰り返し読んでいます。心に残っているのは、水戸藩士の尊攘(そんじょう)運動を描いた『天狗争乱』。筑波山での挙兵、京への進軍、凄惨(せいさん)を極めた冬の蠅帽子峠越えなど、緊迫のシーンが続きます。理性が飛ぶほどの激情、死をも恐れぬ人間の熱狂というものに強烈な印象を持ちました。

 『江藤淳は甦える』は、戦後日本を代表する文芸評論家・江藤淳の評伝です。著者の平山周吉氏は、江藤が亡くなったその日に絶筆を受け取った編集者。本書を読んで私が最も感心したのは、平山氏の徹底した取材姿勢です。江藤氏の全著書を読み込み、ゆかりの場所を訪れ、周辺の人々の江藤談をくまなく集めている。強気な発言で知られた江藤の意外な一面も拾っていて、いろいろと気づかされる労作でした。平山氏は日本の出版文化の貴重な担い手であり、若い編集者がその仕事に学ぶことは非常に多いと思います。

 近頃は街の書店が減り、良書と出会う場所が少なくなりました。そうした中で手がかりとしているのが、書評紙「週刊読書人」です。あらゆる分野の本が充実した書評とともに紹介されており、対談や連載コラムも実に読み応えがあります。また、少ない部数でも良書の発行を地道に重ねている小さな出版社が意外に多いことを、本紙で知りました。一紙で複数の良書に触れたような満足感があるので、これも若い人が読むといいと思います。

 私は今81歳。日本財団の様々な活動を通して悔いなき人生を実践しているところです。個人的な目標は、『日本の名著』シリーズ全50巻、『世界の名著』シリーズ全81巻(ともに中公バックス)の読破と、全国の中学・高校合わせて千校の訪問。若者と将来に対する夢や希望を語り合い、人生を終わりたい。(談)

笹川陽平さんの経営論

 ハンセン病支援、障害者支援、子ども支援、災害復興支援、刑余者支援、課題を抱える地域や国々への支援など、様々な人道支援を展開する日本財団。これらの活動にかける思いとはどのようなものなのでしょうか。

市民が自発的に支え合う社会へ

 市民、企業、NPOやNGO、政府、国際機関などと連携しながら様々な人道支援を行っている日本財団。会長の笹川陽平さんは、2019年度文化功労者に選出。行政の手の届かない分野の文化振興や社会貢献事業、国際社会の課題解決に尽力し、ハンセン病の差別撤廃や、ミャンマー政府と少数民族武装勢力の停戦合意にも大きな役割を果たしている。

 「私の活動の原点は、過酷な戦争体験です。1945年3月10日、東京大空襲に遭いました。上野の山に逃げて命は助かりましたが、その後しばらくは栄養失調。そんな経験をしていますから、弱者救済への思いが私の根底にあります」

 日本財団の活動も弱者救済に重きを置き、障害者支援、子ども・若者支援、災害復興支援、刑余者支援、課題を抱える国や地域への支援などを行っている。また、来夏開催予定の東京パラリンピックにおいても重要な機能を担う。

 「2012年のロンドン五輪を見て、パラリンピックの成功なくしてオリンピックの成功はないと確信しました。日本財団は2015年にパラリンピックサポートセンターを設立。共同事務所を作って各競技団体の運営を支え、ボランティアの育成、英語資料の翻訳、パラリンピックの理解促進活動など、バックオフィスの役割を引き受けています」

 文化芸術支援の歴史も長く、直近では昨夏から1年をかけての「True Colors Festival」を開催。障害・性・世代・言語・国籍などを横断した芸術の祭典を展開中だ。

行動哲学は「言行一致」

 笹川会長は2020年1月、和平を働きかけるミャンマーの少数民族武装勢力支配地域を訪問。ミャンマー政府及びミャンマー国軍から正式な許可を得て同地を訪問する外国人は、1948年のミャンマー独立以来初。今なお不安定な地域だが、「車1台で行きました。人間はいずれ死ぬんです。だったら死ぬ前に少しでも誰かの役に立った方がいい」と明快な答え。過去にはハンセン病の差別撤廃を国連人権委員会に直訴し、決議の可決に尽力するなど、とにかく行動派だ。

 「私はよく『左目は顕微鏡、右目は望遠鏡』と言うのですが、多角的な視点を持つと解決の道筋が見えてくる。加えて、困難に負けない情熱と精神力、成果が出るまでの持久力も大切。そして何より言行一致。口で偉そうなことを言っても行動が伴わなければ、活動に対する共感は得られません。そのためには現場を見なくてはいけない。日々のことで言うと、私は職員の間にデスクを置いています。そうすれば現場で持ち上がっている問題がすぐにわかる。国際支援も必ず現地に赴くようにしています」

 日本財団では、個人や組織が身近な課題を見つけてアクションを起こす「ソーシャルチェンジ」を提唱している。

 「国の借金は1100兆円。そんな中でも社会課題は尽きません。例えば子どもの虐待。人付き合いが濃い時代は近所の誰かが気づいたものですが、今は発見が遅れることもしばしば。市民一人ひとりが国や行政の手が届かないところに目を向け、助け合う社会の実現を目指したいと思います」

>笹川会長の経営論 つづきはこちらから

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