中国の古い時代を舞台とした歴史の読み物は、たくさんある。なかでも、のちに魏、蜀、呉となる三国がはりあった二世紀末からの時代は、人気が高い。小説や漫画にも、しばしばなっている。劉備や関羽、そして張飛の名も、有名である。
三国時代の公的な史書である『三国志』を書いたのは、三世紀を生きた陳寿であった。しかし、これが日本の読書界に、そのままうけいれられているわけではない。日本人がおもしろがってきたのは、一四世紀に成立した『三国志演義』である。原典の千百年後にできた白話(口語)小説、エンタメ本のほうに興じてきた。井波さんも、その完訳を『三国志演義』(一)~(四)にまとめあげている。
翻訳の進行中、職場の同僚だった私はこぼれ話を、しばしばうかがった。『演義』では、呂布(りょふ)がイケメンになっている。後世が、彼の美形伝説をふくらませたのよ。だけど、周瑜(しゅうゆ)は正史の『三国志』でも、美将とされていた。彼の美貌(びぼう)は史実ね……。雑談のおりにもらされた井波さんのこういう面喰(めんく)い振りは、強く印象にのこっている。
下世話な私に話をあわせてくれたのかと、思わなかったわけではない。なにしろ、碩学(せきがく)・吉川幸次郎にまなんだ最後の高弟である。高雅な六朝(りくちょう)文学の研究者だと、お目にかかる前は想(おも)いこんでいた。だが、話をかわすうちに、けっこうさばけた人だということも、わかってくる。
京そだちなれば
『三国志曼荼羅(まんだら)』(岩波現代文庫・品切れ)で井波さんは、関羽と部下の惜別場面を語りつつ、こう書いている。「翻訳をしたとき、このくだりに来ると涙がとまらず、ほとんど慟哭(どうこく)しながらキーボードを叩(たた)きつづけた」。読み手の感涙をそそろうとする通俗読み物の手管に、ひややかな目をむけてはいない。そこはわかったうえで、でも涙がながせる人だった。
『演義』あたりがさきがけとなって、庶民むきの娯楽小説が発達する。一七世紀には、それらをえりすぐってならべた「三言(さんげん)」が編纂(へんさん)された。色事や悪事などが、山あり谷ありの筋立てでドラマ化された作品の集大成である。井波さんは『中国のグロテスク・リアリズム』で、それらの紹介もこころみた。
エンタメ文芸への共感には、その生育歴もかかわっているかもしれない。井波さんは、京都の西陣、千本あたりにそだっている。往時は映画館や貸本屋のならぶ娯楽の磁場だった界隈(かいわい)で、はぐくまれた。そこからの感化ものこしつつ、研究者としては中国文学を専攻したのだろうか。だとすれば、『演義』や「三言」への強い関心も、じゅうぶんうなずける。
響きにも通暁す
『演義』以外にも、井波さんは多くの中国古典を訳している。ここでは、五巻本にまとめられた『世説新語(せせつしんご)』をとりあげたい。五世紀に成立した、文人たちのエピソード集である。後漢以後を生きた人々の、機知あふれる言動がおさめられている。政治的に手足をしばられた知識人が、理屈と修辞をとぎすます様子は、せつなく読める。
その解説も、井波さんは『中国人の機智(きち)』(講談社学術文庫・品切れ、電子書籍あり)という本に書いている。文人たちのくりひろげた、命がけと言っていい当意即妙振りが、よくわかる。なにより、その言説が中国語の特徴と一体であることの指摘が、うれしい。言葉の響きにも通暁する。そんな井波さんならではの読み解きだと言える。
『世説新語』で形成された知の型は、魯迅の文章にもとどいている。毛沢東の弁論術とも、無縁ではないという。エンタメ愛のいっぽう、井波さんの文章も、機知の心地良さには心をくだいていた。御冥福をいのりつつ、筆をおく。=朝日新聞2020年7月11日掲載