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田山花袋「蒲団」 文学の自由広げた私小説

たやま・かたい(1871~1930)。小説家

平田オリザが読む

 ここまで日本の近代文学史の黎明(れいめい)をたどってきたわけだが、この進展を半ば屈折した思いで見つめ伴走してきた男がいた。田山花袋である。

 現在の群馬生まれの花袋は、十代で上京。尾崎紅葉率いる硯友社に出入りし強い影響を受ける。二十代に入ってからは、島崎藤村、国木田独歩と交わり自然主義へと傾斜していく。

 田山花袋の名を文学史に残した『蒲団(ふとん)』が書かれたのは一九○七年。藤村が『破戒』を発刊した翌年だ。

 『破戒』が評判を呼び、藤村が自然主義の旗手として、もてはやされるなか、花袋は少し焦っていた。鷗外をはじめ様々な文学関係者との交流があった花袋(おそらくいい奴〈やつ〉だったのだろう)には、自分だけが取り残されていく感覚が強くあった。

 しかし彼には書くべきものがなかった。藤村のように社会問題を扱うことは、花袋の個性に合わなかったし、独歩のように淡々と風景を描写するだけの文章にも、かつて娯楽小説を旨とする硯友社と交わった花袋には不満があった。

 そこで彼は『蒲団』を書き、私小説という日本独特の文学スタイルを確立する。ここでいう私小説は、ただ単に自伝的な小説を指すのではない。どちらかと言えば露悪的な告白小説のような分野を花袋は切り開いた(その後、私小説は様々な形で、日本文学の一ジャンルとして発展していく)。

 『蒲団』は中年のさえない作家が、弟子入りしてきた女学生に恋をし、彼女に恋人がいると知ると嫉妬に狂い、破門にした上でまだ未練を残すという、なんだかとても情けない小説だ。

 しかし、当時の人々は驚いた。藤村が『破戒』を書き、被差別部落問題というとてつもなく深い社会問題をも小説にできることを証明したのと同様に、中年男の嫉妬という、とてつもなく矮小(わいしょう)な事柄さえも、やはり小説になるのだということを花袋は明らかにした。明治近代文学は、また一つ、自由の幅を広げた。=朝日新聞2020年7月18日掲載