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岡崎琢磨さんが中学時代に出あった品川庄司 お笑いの素晴らしさ教えてくれた「漫才ヒーロー」

 お笑いが好きだ。小説家だが小説よりも、バンドを組んでいるが音楽よりも、詳しいと言って差し支えないだろう。

 黄金時代を築いた「ボキャブラ天国」を見始めたのは、ゴールデンの放送が終了に近づいたころだった。当時は小学生、楽しんではいたけれど、まだお笑い好きの自覚はなかった。

 はっきり覚えているきっかけがある。ある日の夕方、母が台所で家事をしながら、NHK「爆笑オンエアバトル」の再放送を見ていた。隣で見るとなかなかおもしろかったので、居間に移動してテレビを点けた。そこに出てきたのが、品川庄司だった。

 坊主姿の品川祐が、かっこいいポーズをとりながらひたすら「品川です」と連呼する漫才だった。それを見て、中学生の僕は腹を抱えて笑った。なんておもしろい漫才なのだろう、と感激した。そして、おもしろいお笑いのネタをもっとたくさん見たいと思い、毎週土曜深夜に本放送されていた「爆笑オンエアバトル」を録画するようになった。

 日曜日、所属していたサッカー部の練習を終えて帰宅し、録画した「爆笑オンエアバトル」を見るのが週に一度の楽しみになった。陣内智則、アンタッチャブル、バナナマン、ドランクドラゴン……。いまとなってはベテランの地位を確立した芸人たちが、ひたむきにネタを競わせていた。

 そんな中でも、品川庄司は破竹の勢いだった。二〇〇一年のチャンピオン大会に初出場し、予選ブロックをあっさり首位通過すると、決勝では前半の品川のボケをツッコミの庄司智春が終盤で全部回収していくという形の斬新な漫才を披露した。渾身のネタであることが明確に伝わる出来で、テレビの前の私は感動すらしていたと思う。私は優勝を確信したが、結果は惜しくも僅差の二位。しかしあの大会で誰よりも輝いていたのが品川庄司であったことを、私はいまでも疑わない。

 その年の暮れに第一回M-1グランプリが開催されると、お笑いブームが到来し、地上波でも数多くのネタ番組が見られるようになった。私はますますお笑いにのめり込み、いまでは週に二十を超えるバラエティ番組を視聴するほどになった。

 けれどもあの日、たまたま品川庄司の漫才を見なければ、お笑い好きになるにはもう少し時間がかかったのではないかと思う。いまや芸歴二十年を超えた彼らの漫才を見る機会はほとんどなくなったが、中学生の自分にとって、彼らは間違いなく漫才ヒーローだった。その後の人生を彩ったお笑いの素晴らしさを教えていただいたことに深謝したい。