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「君が世界のはじまり」ふくだももこ監督インタビュー 書いて撮って、ちょっとだけ視野が広くなったこのごろ

文:永井美帆、写真:北原千恵美

何かを表現したくて、小説を書いた

――原作となった短編小説は「えん」(2016年)と「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」(17年、以下、「ブルーハーツ」)について、「どうしようもなく特別な物語」だと語っていましたね。

 「えん」を書いた当時、同世代の映画監督、山戸結希さんの存在が大きくて、「もう映画をやめよう」と思っていました。山戸さんとは初めて映画を撮った年が同じで、デビュー作の時から知っていたんですけど、「山戸さんが『溺れるナイフ』(ジョージ朝倉の人気漫画)を原作に、映画を撮るらしい」といううわさを聞いて、「すごいスピードだな」と打ちひしがれました。

 どうやって映画を作ればいいか分からなくなって、だけど何かを表現したくて、「えん」を書くことにしました。東京から実家の大阪に戻っていて、やることがなかったので2週間くらいで書き上げました。小説を書いたのは、それが初めてです。もともと私は20歳くらいまで、本を読まない人間だったんですよ。でも、映画学校に通っていた時、先生が作家、西加奈子さんの『さくら』を買ってくれたんです。「君は西加奈子みたいな映画を撮ればいいんじゃない?」と言いながら。その本がすごくおもしろくて、今ではすっかり西加奈子さんのファンです。

 「えん」の主人公えんと琴子には、私の「陽の部分」を詰め込みました。この小説は、えんの目線から書いていますが、私自身、琴子にもすごく思い入れがあります。それで、琴子の目線からつづった小説「君か、それ以外」を今年発表しました。この映画がヒットして、まとめて短編集として出せたらいいんですけどね。琴子が一目ぼれするナリヒラくんにも自分と重なる部分があります。家族の問題を周りに打ち明けることが出来ず、1人で悩んでいるナリヒラくんの姿が昔の自分を見ているようで、「あの頃の自分を救いたい」という気持ちで書きました。「ブルーハーツ」の主人公、純にも自分自身を投影している部分があり、どちらの小説も自分が体験したことを織り交ぜています。

©2020『君が世界のはじまり』製作委員会

――そんな「えん」と「ブルーハーツ」が一つの映画になりました。二つ物語を再構築し、映画にしようというのはふくださんのアイデアですか?

 映画プロデューサーである佐々木史朗さんからの提案です。史朗さんは、私の映画学校で理事長をされていて、卒業制作を覚えていてくださったんです。ある日、「えん」と「ブルーハーツ」を読んだ史朗さんから連絡を頂いて、「この二つの小説を映画にしてみない?」って。舞台も、登場人物も違う二つの小説を一つの映画にするなんて、自分では想像もしていなかったですね。

 それから「脚本をどうしよう?」という話になり、私はこれまで「おいしい家族」(19年公開)などで脚本を書いていますが、今回は自信が持てませんでした。小説で一度完結させた物語を再び脚本にして、映像化する技術が今の自分にはないと感じていて。それで、史朗さんから名前があがったのが映画「リンダリンダリンダ」などを手がけた向井康介さんです。向井さんは、「もう青春映画を書くことはない」と考えていたようですが、小説を読んで、引き受けてくださることになりました。

――脚本化にあたって、向井さんとはどんなお話をされたんですか?

 向井さんが書いてくださった最初のプロットを見た時、二つのストーリーがある事件を軸にして、しっかり一つ物語になっていて、「こういうことやったんや~!」と衝撃を受けました。事前に何かお願いしたわけではないのに、私が大切にしたかった部分をしっかりくみ取ってくれていて。映画には、小説には出てこないオリジナルの場面がいくつかありますが、「えんなら、きっとこう言うよね」とか、一人ひとりのキャラクター像をちゃんと理解してくれていたのが大きかったです。途中途中で細かい言い回しなどの修正を重ねつつ、完成した脚本を読ませてもらった時は「プロってすごい!」の一言でした。自分の脚本はまだまだだと、勉強になりましたね。

©2020『君が世界のはじまり』製作委員会

私が「正解」になってはいけない

――原作者であり、監督でもあるという特別な立場ですが、小説と映画で作品への向き合い方は違いましたか?

 向井さんの脚本を読んだ時点で、小説と映画は全くの別物だと思っていました。小説は基本的に私の頭の中だけで完結していたけど、映画はいろいろな人の力が加わって、物語が出来上がっていく。あえて小説と映画でつながっている部分をあげるとしたら、えんや琴子、純という登場人物を作り出したのは私なので、監督として映画を撮りながら、セリフの裏にある感情を理解できるという部分ですね。別の人が書いた小説だったら、「何でこう言ったんだろう?」と想像することしかできないけど、今回に限っては正解が分かる。だけど、私が「正解」になってしまってはいけないので、俳優と話し合って、一緒に登場人物の感情を考えていきました。

――映画には、それぞれに葛藤を抱え、エネルギーを爆発させる高校生たちが登場します。製作を通じて当時を思い返したり、大人になった今、何か感じたりしたことはありましたか?

 撮影の現場で実際に動いている高校生たち見て、いとおしく思ったり、まぶしく感じたりすることはありました。振り返ると、あの時代から20代前半くらいまでって、家族とか友達とか、ごく身近なことが悩みの大半を占めていた気がします。でも、20代後半になって、自分のことばっかり考えるのに飽きてしまって(笑)。悩みのメインテーマが変わってきました。

 3年くらい前から#MeToo運動をはじめとするフェミニズムに触れる機会が多くなって、自分のことだけでなく、「どこかに傷ついている人がいるなら、ちゃんとそのことに思いを巡らせよう」という価値観になりました。ただ、全部をまともに受け止めているとしんどいじゃないですか。それで、身近にいる男性に対して攻撃的になったこともありました。でも、最近はうまく距離をとることが出来てきて、ちょっとだけ視野が広くなったかのかな。いつか、こうした社会問題をテーマに作品を書きたいと構想中です。

 もう一つ目標を語っていいですか? 明確な目標としては、映像業界に保育部を作りたいです。打ち合わせだったり、撮影現場だったり、誰もが当たり前に子どもを連れて来られる環境にしたい。映像業界はまだまだ労働環境が整っていないところが多いけど、早くなんとかしないと、優秀なスタッフがいなくなってしまいます。そしてそれは自分のためにもなることだと思っています。