「日本の美しさをもう一度見てみよう」と伝えたい
―― 丁寧な描写と匂いたつような文章で、情景が目に浮かぶようでした。物語はどのようにして生まれたのですか。
どんなテーマで小説を書こうか、と考えたときに、始めはなにも思い浮かばなかったんです。妻にも「明日には担当編集の方に連絡をして、『書けない』と伝えなければ」と話していたほどです。ですが、翌朝目が覚めると、不思議なことに「ストーリーができた」と妻に伝えていました。長年心のなかにあった思い出を何らかの形で出していきたい、という気持ちがどこかにあったのかもしれません。私の鎌倉の自宅にも茶室がありますが、そうした場所や環境をイメージし、物語を入れてみた感じですね。いざ執筆を始めると、まるで登場人物たちに手を引かれるかのように書き進めていました。
――『茶室』のなかには、太宰治や永井荷風、谷崎潤一郎といった近代小説の作家たちの名が多く登場しています。コラスさんが愛し、影響を受けてきた作家たちなのでしょうか。
そうですね。おかしな言い方かもしれませんが、この作品は“日本についての遺言”と言えるかもしれません。私が日本で暮らし始めた45年前といまではなにが変わったのか。日本のなにが好きだったのか、いまの日本に好きなところはあるのか。Rが恋に落ちる真理子は言ってみれば、日本のクラシックな美を象徴する存在です。執筆していた時は、スイスに赴任することが決まっていたので「日本を離れるからには、これを残したい」という気持ちもあったのだと思います。
先日、少し年下の日本人の友人とランチをし、二人で太宰や谷崎、三島由紀夫の話をしていたのですが、彼は「こんなに日本の文学について人と語り合ったのは何十年ぶりだろう」と口にしていました。日本の若い読者に対して、「自分の国の美しさをもう一度見てみようよ」という気持ちが私のなかにあるのかもしれません。
心を裸にして”本当の小説家“の道を歩んでみたい
――物語のなかでは、フランス人と日本人の恋愛や愛情表現の違いについても描かれています。
日本人女性のパッションの表現の仕方が面白いなと感じています。普段は穏やかなのに、突然情熱的になる瞬間がある。火山と同じですね(笑)。いつもは冷静だからこそ、感情が爆発したときとのコントラストがすごい。私が妻と出会ったときも、そう感じました。
真理子は家柄もよく、しっかりとした教育を受け、お見合いの話もあって、と非常に安定した生活を送っていました。それがRとの出会いにより、自ら人生を大きく変えていく。Rはそう、私です。これは隠すことができないですね。
――デビュー作『遙かなる航跡』(2006年)をはじめ、自伝的要素を感じさせる作品を多く発表されています。物語を紡ぐうえで、「自分」との距離の取り方をどう捉えていますか。
正直に言うと、本心のようなものはまだまだ隠していると思います。そう感じたのは、大江健三郎さんが(障がいのある)息子さんとの日々を綴(つづ)られた作品を読んだことが大きいですね。大江さんは、自分の心を裸にしていく。その姿に勇気づけられ、「これが本当の文学ではないか」という気持ちになりました。私もこれからは、自分のなかにある“決して綺麗(きれい)ではないもの”をさらけ出していってもいいのかなと思っています。あまり誇りに思っていないこと、見せたくないことを描くことで、“本当の小説家”になる道を歩んでみようかな、と。真の小説家は嘘(うそ)をつかない。でも、私はまだ心に嘘をついて書いている部分があるので、小説家ではないと思っていて。いまはそんな気持ちになっています。
書くときは、寝食を忘れ18時間自室に引きこもって
――ビジネスパーソンとして活躍されながら、書き続けることができたのはなぜですか。
子どもの頃から「書くこと」は、自分にとって自然な表現方法の一つでした。若い頃は文章を書いて生きてゆきたいという思いもありましたが、わりと現実的なところもあって。詩人で外交官でもあったポール・クローデルのように「外交官として働きながら書く」という方法を模索していた時期もあります。
来日し、フランス大使館勤務を経てビジネスの世界に足を踏み入れてからは、文章を書くことから少し離れていたのですが、15年ほど前に集英社さんから声をかけていただき、『遙かなる航跡』を書きました。これが、本当に楽しかった。いまも小説を書くときは、食べることも忘れ、週末などに1日18時間くらい自宅に引きこもって書いています。「茶室」には、真理子の行方を追う刑事が登場しますが、彼の存在が書き進めるなかで自分の想像を超え、どんどん大きくなっていった。そんなところにも面白さを感じますね。
――今後取り組んでみたいテーマがありましたら教えてください。
小説ではないのですが、フランスの出版社が発行している『Dictionnaire amoureux(ディクショネール アムルー)』というシリーズで「日本」について執筆しています。テーマごとに、その分野に精通した著者が辞書形式で自由に解説していくもので、私は京都の西芳寺(苔寺)から大好きな「さかなクン」まで、約350の単語を取り上げています。これが完成したら、日本というテーマから一度離れるのではないかな。
フランスの出版社から依頼されているものに、“私の父の物語”があります。父は17年前に亡くなり、ずっと「まだ書けない」と思っていました。父は第二次世界大戦を生き延びた世代。そんな彼の人生をいつの日か描いてみたいと思っています。