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一献 長谷川義史

 酒が好きである。

 かっこいい。なんてかっこいい書き出し。

 だってこれ書いてる今もう来年で六十やもん。もう還暦とかいうやつやもん。

 春。寒さも和らいだ季節の変わり目。桜の蕾(つぼみ)が膨らむ頃酒が飲みたくなる。夕刻ああ酒が飲みたいと思う。

 春はおでん屋がいい。実はおでん屋は春がいい。

 この場合酒は冷(ひや)でも燗(かん)でもどちらでも良い。なんとなく文豪のような文章になってきてまへんか。

 あっ。なってないさよか。

 夏。夏の酒は見上げた空にしみる。

 あっ。やっぱり文豪のような文章になってきてまへんか。

 なってない。やっぱり。

 夏はもちろんきゅーと冷えた酒ですわな。あては胡瓜(きゅうり)もみにうなぎの短冊とかがいいなあ。冷奴は意外に力不足。酒のあてにはたよんなすぎる。

 蒸したイモとかもいいねんなあ。ジャガイモ蒸しただけのやつに塩ふって。

 ポテトサラダはもちろん大好きなあてですがイモの蒸しただけのも素朴な滋味があってよろしい。

 秋。いよいよ酒が恋しくなる。

 あっ。文豪のような。もうええか。

 秋は立ち飲み屋で湯豆腐で飲むのがよろしい。

 さっき豆腐はたよんないというたやないかて?

 関西の立ち飲み屋の湯豆腐は出汁(だし)で炊いてある。そこにおぼろ昆布とネギがかかってて、このおぼろ昆布がええ仕事しゃはる。

 酸味とコクと旨味(うまみ)が出てもうこの出汁で酒が一合飲めますねん。

 もちろんぬくい豆腐で一合いただいてるので出汁と合わせて二合。

 冬。家で酒を眺める。

 もちろん眺めるだけやなく飲むんやけれどもいつもよりは盃(さかずき)に酒を満たして揺れる酒を眺めて静かに飲みたい。

 あてはそうやなあ、あてはなんでもいいけど水菜と鯨のコロの炊いたやつとかがいいなあ。鯨のコロあんなもん昔はボロクソに安かったのになあ。今では高級品やもんなあ。

 でもコロの出汁でた汁がまたうまいねんなあ。

 チューブから出したからしではなくてからしの粉と湯を怖い顔して練ったからしを添えていただく。

 昔おかんがからしは怖い顔して練らなかろうなれへんて教えてくれた。

 水菜をしゃきしゃきいただいて口の中のコロに酒を含んでやって舌の上でコロをレロレロレロレロあっちゃこっちゃ転がして。

 ああ日本のお酒。水と米作り農家と杜氏(とじ)さんに心から感謝。=朝日新聞2020年9月26日掲載