実話のようなリアリティがあった
――市川さんが脚本を読んだ感想を教えてください。
原作が出版された時、すごく話題になっていたのを覚えています。今回の脚本を読んでいる時に、これはフィクションなのか、もしかしたら実話で、実際に今こういうことが起きているんじゃないか、と勝手に想像が膨らんでしまうようなリアリティがあって、興味深かったです。
――自分の声が録音されたテープの存在を知り、事件を探る夫・俊也を陰ながら支える妻という役どころでしたが、亜美を演じる上で心がけたことはありますか?
まずは「曽根家になる」ことを大事にしたいと思いました。星野(源)さん演じる夫の俊也がテープを見つけるまでは、平和な家族の日常を描くシーンになっています。そこから段々と俊也の様子が変化していくのですが、亜美はその異変に気づいていたとしても、自分から何があったのか問いただすようなことはしません。物語が進むにつれ、深刻なシーンが増えていくので、俊也や家族をさりげない優しさで支える女性になるようにと思っていました。
亜美や娘の詩織が着ている洋服は、おそらく手編みであろうニットのペアルックがいくつかあります。亜美が老舗のテーラーの家に嫁いだ女性であることと、家族や親子の温もりを表す意味もある衣装だったのではないかと想像しています。
――完成した映画をご覧になっていかがでしたか。
出演されている役者さんたちの真剣さと熱量を感じました。特に、俊也と同じく子供の頃に事件で声を使われてしまった、生島聡一郎を演じる宇野(祥平)さんのシーンは、観ているといろんな感情が湧き出てきて胸が震えました。俊也と聡一郎、 対比的な人生を歩んできた二人が出会ってから、後半の方にあるシーンが強く印象に残っています。その他にもたくさんの方々が出演されていますが、みなさんの静かで熱い想いを感じました。
真実は知りたいけど、怖い
――事件の真相を追う新聞記者の阿久津と出会い、関係者に話を聞いたり、調べていったりする中で、俊也は「自分の家族が事件に関わっているかもしれない」ということを知る恐れもあったと思います。「真実を知ることへの恐怖」について、市川さんはどうお考えになりますか?
この作品を観て「面白い」と思うのは、「真実を知りたいけど、それを知るのは怖い」という気持ちに近いのかなと思いました。人って、怖いことを知りたがるじゃないですか。「怖さ」って、人が一番興味関心を持って進んで行ってしまう方向なのかなと思うんです。
劇中でも「真実を明らかにすることに意義はあるのか」と阿久津さんが悩みますが、そうやって悩む時もありながら人は生きているんだろうなと思うし、映画では直接描かれていませんが、事件に関わった人たちも、長い人生の中で「自分がやったことは正しかったんだろうか」と悩んだことや、そのことを胸に刻んだ時間はあったと思うんです。「正義」って人それぞれだと思うんですけど、事件を起こした人たちも、結局は正義感でやっているんですよね。本作を通じて、そういうことも考えました。
――その他に、市川さんが印象的だったシーンやセリフを教えてください。
この映画を撮影したのは1年半くらい前なので、台本の詳細も忘れていて、割とまっさらな気持ちで試写を観ました。阿久津さんの「(犯人グループは)一円も手にしていない。ましてや誰かが死んだわけでもない。この事件、今さら掘り返す価値あります?」というセリフが心に引っかかったんです。始まってすぐに出てくるセリフなんですけど、なぜか「わ、この言葉」と思って。
こんなにたくさんの人の人生を狂わせている事件のことを、新聞記者でさえそう思うのなら、一般の人はなおさら知らぬままですよね。実際にもこういう風に流されてしまっていることが世の中にはたくさんあるのだろうとも思ったし、このセリフはこの映画の物語を開く鍵のように思えました。
――被害者が何十人もいる事件と、表には出ていないだけで誰かが苦しんでいる事件の扱い方、取り上げ方についても考えさせられました。
事件の大小でニュースに取り上げる、取り上げないを決めるのはすごく残酷な線引きですし、一つの記事ですごく救われる人も、傷つく人もいる。本当に考えさせられますね。
私は以前「市川さんのドラマを見て、この仕事に就きたいと思いました」というお手紙をもらったことがあるのですが、その時は震えました。私たちがやっている仕事って、どこに、誰に届いているか分かりにくいところもありますが、そうやって自分から見えないところで、人の人生に関わっていることがある。そういう仕事なんだと喜びと同時に緊張しました。でもきっと、この仕事でなくとも、人がしていることはそれを見ている周りの人の心に影響を与えたり、与えられたり。目には見えないものが作用し合って人は生きているんだなと思っています。
――本作の出演を経て、市川さんが感じたことを教えてください。
今、色々なぬくもりをシャットダウンされる状況が起きていて。だから余計に夫婦や親子はもちろん、血の繋がりだけではなく、人と人との繋がりというものにすごく反応した気がします。この映画を撮影していた時と、今ではまた世の中の空気が違うこと。だから見えてくること。それをこの映画を観ながら改めて感じました。
深呼吸するように、詩を読む
――本作は塩田武士さんの原作が元になっていますが、市川さんは普段どんな本を読みますか?
詩と料理の本を読みます。昔も今も色々な料理家の方がいて、色々な書き方をしている本がありますね。食べ物にまつわるエッセイとかも好きです。もともと小説はあまり読まなかったのですが、いつの頃からか撮影に入ると、その作品の参考やヒントになるような本以外の、全く違う物語は読めなくなってしまいました。詩は余白が大きいので、風が吹いたような感じで読めるというか、深呼吸するような気持ちになるので好きです。
――特に好きな作家さんはいらっしゃいますか?
茨木のり子さんです。20代前半の頃、すごく忙しくていっぱいいっぱいになっていた時に、知り合いが茨木さんの「汲む」という詩をFAXで送ってくれたことがあったんです。「大人になるというのは すれっからしになるということだと思い込んでいた少女の頃~」と始まる詩なのですが、大人になれない自分のことをたくさん責めていた時期だったので、優しく背中を撫でてくれるような詩でした。それからずっと好きです。
――市川さんが20代の頃に書かれたエッセイ『午前、午後。』を読んだことがあるのですが、ほんわかした文体に「宵待ち色」などの素敵な言葉が綴られていたのが印象的でした。
若い時から自然とそうだったのですが、私は普段、短縮言葉とか「超~」っていう言葉をあまり使わないんですね。好みもあると思うのですが。あと、私自身が読者として「こんな素敵な日本語があるんだ」と知れることは喜びで、出会った時にとてもワクワクするんです。
映画やテレビ、本や雑誌の記事って、見ているうちに無意識でも人の思考に影響を与えると思っていて。例えば、洋服のコーディネートでこれはNGと書いてあったら「あ、これしたらダメなんだ」って思ってしまう。若い頃に見たら余計に。あと、テレビで使われている言葉は、自然と人が取り入れて広まっていくものですよね。私自身も気をつけたいと思っていますが、色々なところで「キレイだな、美しいな」と感じる言葉との出会いがあったらいいなぁと思っています。