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小川洋子さん「密やかな結晶」インタビュー 26年前の作品、英訳で再評価

コロナの時代でも「小説という表現はしぶとい」と話す小川洋子さん。「小説の中では、登場人物と読者はどれだけ『密』でもいいんです」=滝沢美穂子撮影

奪われた日常、奪えぬ物語

 日本での刊行は1994年。2019年に英語版(スティーブン・スナイダー訳)が出ると、同年の全米図書賞翻訳部門と、今年のブッカー国際賞の最終候補に。いずれも受賞はならなかったものの、世界での注目の高まりを示した。

 大切な物の記憶がある日突然、人びとの脳裏から一斉に消えてしまう島の物語。切手、帽子、カレンダー……。次々と失われていく記憶を隠し持つ者がいないか、秘密警察によって監視される世界を描いた。

 「海外メディアからは『登場人物たちはなぜ抵抗しないのか?』と聞かれました。でも、歴史を振り返れば、気がついたら大きな流れにのみ込まれてしまっている状況もあるのでは」

 執筆した当時、アンネ・フランクの生きた時代が念頭にあったという。中学生の頃に初めて読み、表現の世界へ導いてくれたのが『アンネの日記』だった。

 『密やかな結晶』の作中で小説の記憶が失われる場面では、ナチス・ドイツを想起させる焚書(ふんしょ)が描かれ、〈「物語の記憶は、誰にも消せないわ」〉と叫んだ女性が秘密警察に連行されていく。

 「強制収容所に連れて行かれたユダヤ人たちは、靴も髪も名前も奪われた。でもアンネが日記を残したように、人の記憶は誰にも奪えません。書くこと、記憶することは『瞬発力』はないけれど、長い目で見れば抵抗になるはずです」

 過去を見つめて紡がれた物語はいま、事実とそれに基づく記憶が軽んじられる「ポスト・トゥルース」の時代の文学としても読まれている。ブッカー国際賞の選考委員は「あまりに現代的で目を見張らされた」と評した。

 興味深いのは、作中である物の記憶が消える時には、それに心を動かされる感受性も共に失われること。香水の記憶が完全に消えると、〈心の中から香りをなくしてしまった〉人びとにとって、それは〈ただの水〉でしかなくなる。

 ところが、物の記憶が失われかけた途中の状態は〈ひどく心がざわつく〉ため、人びとは自ら進んで、記憶と感受性を手放そうとしてしまう。
 コロナ禍でやむを得ない「自粛」ではあっても、ささやかな日常が奪われていく不条理。友人に会わないこと、実家に帰省しないこと、なじみの店がつぶれていくこと……。そうした不条理に心を動かされないよう、身を固くしている私たちの状況に重ねて読むこともできる。

 作中の主人公「わたし」は、小説という概念自体が消えてしまった世界で、一語一語、たどたどしく言葉を連ねていくことで物語を書こうとする。
 記憶することと、物語ること。二つは切り離せない関係にあるという。
 「受け入れがたい現実に押し潰されそうな人が、何とか自分の心の形に合うようにと、付け加え、そぎ落として記憶する。それは物語をつくることに等しい。生きるうえで物語をつくることも、目に見えない抵抗ではないでしょうか」(上原佳久)=朝日新聞2020年10月7日掲載