古い銀行の建物をホテルにしたり、廃校を水族館にしたり。昭和のアパートを利用したアートギャラリーや古民家カフェなど、建物の再利用はすっかり普通のことになった。
そういった場所に入ると、新築物件にはない、その場所が持つ物語を感じることがある。建物の記憶と言ってもいい。
恩田陸『スキマワラシ』はそんな記憶を巡る、ノスタルジックなファンタジーだ。
古道具屋を営む兄と、兄の店の一角でバーを開いている弟が主人公。弟には、古い物に触れると時々その物の〈記憶〉が見えるという力がある。
ある日、ビルの壁画に使われたタイルに触れた時、かつてない規模で現れたイメージが亡き両親にまつわるものであることを直観する。そのタイルが再利用品だと知った兄弟はタイルの来歴を追い始めた。
一方、それと並行して兄弟の周辺にはある噂(うわさ)が流れ始める。解体現場や廃墟(はいきょ)に白いワンピースを着た子どもの幽霊が現れるというのだ。実際に不思議な体験をした弟は、その少女をスキマワラシと呼ぶようになる。
タイルの記憶と廃墟の幽霊、このふたつを軸に物語は進む。ファンタジックな展開だが、その底に流れるのは変わりゆく町の姿だ。昔の建築や道具など、本書には古いものが多く登場して読者の郷愁を誘う。だが古いものはただ壊されるだけではない。形を変えて利用されたり、一部が他の建物やアートに転用されたりすることで、記憶と物語が受け継がれていく。
失われる寂しさだけでなく、受け継がれる清々(すがすが)しさと未来への希望がそこにある。過去への郷愁と次の時代への期待。過去と未来の隙間に生まれる一瞬の交錯を、恩田陸は飄々(ひょうひょう)とした筆致で軽やかに描いた。〈ノスタルジアの魔術師〉と呼ばれる著者の本領発揮だ。
コロナ以前と以後の隙間にある今、スキマワラシは私たちのすぐそばにいるかもしれない。願わくば、希望もそこに。=朝日新聞2020年10月10日掲載
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集英社・1980円=3刷2万6千部。8月刊。シリーズ物も人気の直木賞作家による久々の読み切り長編。「地方紙連載で、単行本化を楽しみにしていた読者が多くいた」と版元。