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川越宗一さんが冒頭から引き込まれた映画「オネアミスの翼」 大きな「異文化」の世界に連れ出してくれた

 ぼくは生来、あまり外出しない。一人でいても苦にならず、反転して引っ込み思案でもある。大人になってからは社会性の点で少し困っていたが、家に籠って小説を書くようになってからは、この性向にむしろ助けられている。人生はわからないものだ。

 ともかくそんなぼくだから、小学校くらいのころは住む世界がとても小さかった。家、学校、両者をつなぐ徒歩十分ほどの通学路、近所の公園、盆正月に帰る両親の実家。それだけしかない。書いた字面ほど荒涼とはしておらず、それなりに楽しくもあったが、当時の記憶にはちょっと退屈で、またどこか息が詰まるような感触がある。

 そのころに出会った「オネアミスの翼」というアニメ映画について、本稿では書く。なおタイトルは異同があるらしいが、ぼくの記憶に従って表記する。また制作スタッフはそうそうたる陣容であり、まつわる興味深いエピソードがいろいろあるらしいけれど、ここで書きたいのは作品とぼくとの関りについてなので、触れない。

 たぶん金曜ロードショーというテレビ番組で観た「オネアミスの翼」は、実際の地球に似た異世界を舞台にして人類初の有人宇宙飛行への挑戦を描いた作品だ。宇宙ロケットや航空母艦、戦闘機などメカがたくさん登場し、気の抜けた主人公たち青年がいつのまにか真剣に宇宙を目指すようになるというドラマは楽しく、熱い。静謐なラストは独特の余韻があり、ぼくは大人になってからも何度か見返して、そのたびに楽しんでいる。

 ただメカやドラマは、ぼくが当作品を「より」好きにしてくれた要素だ。最初にぼくの心をわしづかみにしたのは冒頭のくだり。もっと言えば、そこで鳴った音楽だった。

 少年がひとり、真っ白な雪原を夢中で歩いているところから、「オネアミスの翼」は始まる。やがて海(設定上は湖らしい)が見え、そこには航空母艦が浮かんでいる。飛び立った飛行機から長く尾を曳く雲を、少年は羨望のまなざしで見つめる。

 このあたりで、そっと音が鳴りはじめる。賑やかでエキゾチックなリズムは少しずつ音量を増し、作品タイトルとともに不思議な、けれどとても美しい旋律がかぶさってくる。聴いたことがあるようでない、独特の音楽だ。どこか別世界のお話が始まることを、奏でられた音はなにより雄弁に宣言していた。言い換えればその音楽は、幼いぼくの手を引き、小さな小さな生活圏の中から、より大きな物語の世界に連れ出してくれた。

 本作品では「異文化」が丁寧に、重厚に、そして隙間なく構築されている。奇妙なデザインの制服、細い棒状の硬貨、料理、宗教、建物、ゲーム、乾杯のしきたり、言語(主人公たちの地の言葉と別に、上流層が話す言語や隣国の言語がある)、付随する文字。そのほか枚挙にいとまがない。

 そして異文化という感覚を何より強く印象付けるのは、作中の音楽だ。「オネアミスの翼」の世界はその独自の音楽によって、まさに世界として立ち上がる。その響きに焚きつけられるように作中の人物たちは笑い、泣き、出会い、分かり合えず、けれど何か大切な交感を得て、第一宇宙速度に向かって加速していく。

 気が付けば、「オネアミスの翼」に出会ってから三十年以上が経ち、ぼくは小説を書いている。本当でも嘘でも、フィクションでも伝説でもなんでもいい。自分の身の回り以外のどこかが、もっと豊潤で心躍らせてくれるような何かが、あるのではないか。そう予感させてくれるものに出会えた興奮が、周り回っていま、ぼくに物語を書かせてくれているように思う。

 同時に、あの不思議な音楽がくれた衝動を何とか文字に写し取ろうと、四苦八苦している。