本音を言うと、もう毎日しんどい
――これまで多くのレシピ本を出版されていらっしゃいますが、本作が初めてのエッセイになりますね。書こうと思ったきっかけがあったのでしょうか。
僕は3人子供がいるのですが、周りのママやパパのお話を聞いていると、みんな「どんなご飯を作るのか」ということが問題ではなく、毎日のごはん作りに追い詰められているという状況の方がすごく大きいということを知り、料理研究家として「レシピを紹介するだけでいいのかな、世の中の役に立てているのかな?」という疑問があったんです。
そういう思いを各地の講演会やインタビューでお話しすると、みなさんからすごく反応があったんですね。別のウェブの連載でも「ご飯作りをそんなに頑張らなくていいんじゃない」といった「非レシピ宣言」みたいな記事を書くと、反響が大きかったこともこの本を書くきっかけになりました。
――いつも笑顔で楽しそうに料理している印象がありますが、料理研究家でもしんどくなる時があるのですか?
本音を言うと、もう毎日なんですよ(笑)。僕は料理の撮影を仕事としてやっているのですが、その大変さって家庭でのご飯作りも一緒なんですよね。お仕事している方でも主婦の方でも、日々やることなんて無限にある中で、買い物から冷蔵庫の中身の整理、食材もいかにロスを出さずに、というのは全く同じなんです。その大変さをいかに多くの人に分かってもらえるかが、この本の大きなテーマだと思っています。
この本の半分は自分の思っていることを、自分のために書かせてもらったのですが、例えば子供が病気になった時って、自分のこと全てが破綻するんですよね。親としての責任ももちろんあるかと思いますが、たまにはそういうのをとっぱらって「しんどい時はしんどい」って言った方がいいんじゃないかと思います。
――そこまで公言することに不安はありませんでしたか?
不安というのは、さほどなかったです 。講演会でも連載でも、レシピを紹介するよりも、僕が普段、本当に思っていることを伝えた話の方がみなさんのリアクションがすごく大きかったのを体感していましたし、そういう皆さんの思いを代弁している気持ちで、使命感をもって書かせてもらったところもあります。
「~ねばならない」から自由に
――「栄養バランスを考えて作らなければならない」、「毎食手作りしなければならない」といった、強迫観念のようなものが刷り込まれているからしんどくなるんですよね。
そういうことは山ほどあって、家庭料理でいうと、本来ならば、みんなで楽しく作ってワイワイ食べるものを、なんの要因があってそんな弊害を生んでしまっているんだろうと考えた時に、日本の社会が「~ねばならない」とか、どうしても教育と結びついてしまいやすい要素がたくさんあるのかなというのは、いろんな所で感じていました。
――私も、3食のうち一回も野菜を食べていなかったり、ところてんとアイスだけで過ごしたりしたことがありますが、何となく罪悪感を抱いてしまうんです。
日々のごはん作りに限らず、誰かによって描かれた理想像や、人にそう見られたくないという対外的な意識があるということは、何にでも当てはまると思っています。「ところてんしか食べなかった時の罪悪感」って、誰と戦っているんだろう。別に自分がところてんばっかり食べてOKなら全然いいと思うんだけど、そう思えないということは、周りの価値観と戦っているだけなんですよね。
――「~ねばならない」って、無意識に思い込みがちだと思うのですが、それに気づいた時、コウさんはどうされますか?
スーパーで売っているお惣菜や、朝ごはんは菓子パンでもOKという「駆け込み寺的な存在」を、たくさん作っておく技術は持っていた方がいいなと思います。常に何かに対して真正面から取り組まないといけないみたいな思い込みがいろいろある中で、ごはん作りに対しても高い壁があって、それに真正面から立ち向かう。一見すると素敵なことだと思えるけど、そこに費やす労力ってあまりに膨大だなと思うんです。
しんどい時は逃げていい。そういう生き方ってあんまりよくないとされているけど、僕はできるだけ嫌なことから逃げたいなって思うので、みなさんにもそういう道をたくさん作ってほしいなと思います。
――コウさんご自身も「料理研究家はこうあるべき」に縛られて、それができていない自分に小さな罪悪感を抱いたそうですね。
「料理研究家らしくなくてもいい」と本当に心から思えるようになったのは、このエッセイを書き始めてからなんです。僕も以前は他の料理家さんのように自分で梅干しも漬けていたし、味噌も作っていたんです。だけどある時「何でこんな忙しいのになんでも手作りしないといけないんだ。お店で売ってるやん!」って思ったんですよ。
それまでは僕も「できない自分」に罪悪感があったけど、今は子供が「インスタントラーメンが食べたい」って言ったら、むしろ喜んで買いますからね。そういう逃げ道をたくさん作るようにしています。
もっと自分勝手に生きてほしい
――改めてご自身を冷静に見つめたことで、何か気づきはありましたか?
自分がそんなに頑張らなくても、世の中も家庭も回っていく、ということですね。新型コロナで自粛期間に入った時、僕は朝ごはんを作るのが嫌になったんです。しんどくて。そうするとある日、長男と長女がパンとベーコンを焼いてきゅうりを切って、ベーコンサンドを作ってくれたんです。感激でした。それ以来、朝ごはんは自分で、という流れができました。結局、作るのをやめると誰かが作ってくれる(笑)。
あとは小さなスペースを整理して「なんでも放り込み部屋」を作ったんです。子供のおもちゃとか、いろんなもので部屋が散らかるようになったので、そこには何を放り込んでもいいと。そうすると気持ちが楽になりました。
――自分の中で一つ「ここはどうでもいいや」って思うものを作っておくと、だいぶ楽になりますよね。
いい意味での諦めというか。それが家庭料理においては、別に冷凍食品を使ってもいいし、お惣菜もうまく使えたらいいなって思えることなのかなと。
――「気分がのらない日はごはんを作らなくてもよい」など、本書には毎日ごはんを作る人への共感とねぎらい、そしてコウさんからのエールが込められているように感じました。
「僕もみなさんと同じ気持ちなんです」ということを皆さんと共有したかったし、出来る範囲で、もっと自分勝手に生きて欲しいなって思うんです。人間ってエゴがあるし、自分がいちばんかわいくて大事っていうのは当たり前だと思うんです。それがお母さんになった途端、より自分を律しないといけなくなる。
僕、なんでママが居酒屋に行ったらいけないのかとすごく疑問に思うんです。男性(パパ)は仕事終わりに居酒屋に行ってもいいのに、ママが居酒屋に行ったら叩かれてしまうじゃないですか。言い出したらきりがないくらいおかしな風潮ばかりで、もっと自分のやりたいように生きるためのアシストが必要なのかなと思っています。
まずは自分が疲弊しないことが大事
――コウさんがそう思うようになったのはいつ頃からですか?
うちの父は韓国で軍隊を経験しているので、身の回りのことが完璧にできます。ご飯も作るし裁縫もやるんです。だけど、結婚した途端、全く家事をやらなくなるんですね。周りの大人も全く同じで。「日々のごはん作りは女性の仕事」という意識が根強くありましたから。そういう風潮は子供の頃から強く疑問に感じていました。
――以前は料理研究家の方が出す本って、その人のライフスタイルを含めた「憧れ」みたいなものもあったように思いますが、最近は「10分弁当」や「ラクして作れる~」のように、レシピの内容も変わってきているんじゃないかと感じています。
そこはやっぱり時代の必然というか、皆さんが求めているということでしょうね。それだけ、日々のごはん作りに対してしんどさを感じているということだと思います。たった一人でごはんも育児も家事も、園や学校の行事、地域の活動もこなすなんてあり得ません。心身ともに疲弊して、いつかパンクしてしまう。
だからまず自分が疲弊しない、フレッシュでいられるということが大前提にあって、それから「今日はどんなごはんを作ろうかな」と思えるんですよね。時代の流れがそういう皆さんの思いと合致してきているんじゃないかと思います。
――こういった流れが続くと、プロの料理研究家としての仕事がなくなってしまうのではないかと思うことはありますか?
僕はアジア、ヨーロッパなど海外の家庭を多く取材させていただいたのですが、平日はあまり家庭で料理を作らないケースが多かったんです。ドイツに行った時、どの家庭に行ってもキッチンがものすごくきれいだったんですよ。その秘訣を聞くと「基本、料理をしないからなんだ」っ言われて。これがスタンダードになっていくと、おっしゃる通り、僕の仕事はなくってしまいますね(笑)。
――今後、やってみたい、挑戦してみたいことを教えてください。
この本では詳しく書けなかったのですが「食べるだけの人問題」を解決しないと、毎日の楽しい食卓はやって来ないんだろうなと思うんです。僕は一時期、保育園や小学校で料理教室をやっていたのですが、お父さんがキッチンに立つご家庭のお子さんは「パパがこういうの作ってくれた」ってすごく話してくれるんです。今はシングルの方も多いので一概には言えないんですけど、逆を返せばどんなに毎日頑張ってごはんを作っても「お母さんが料理するのは当たり前」って思うことが問題だと思うんです。
あとは「毎日違うものを食べさせなきゃ」って思わなくていいんですよ。そうすると食べるだけの人がつけあがりますから(笑)。そういう見えざるプレッシャーを感じて「これも作ってあげよう」となることが当たり前になるので、ごはんを作らないけど出された料理に文句を言う人たちの意識改革をすることが、男の料理家である僕の使命なのかなって、勝手に思っています。
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