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忘れやすい幸福感 津村記久子

  自宅での行動を記録するのが習慣になった。一分単位での時刻付きだ。「2時5分 目が覚める」「2時35分 お茶淹(い)れる」「2時52分 ヨーグルト食べる」「3時33分 仕事始める」というようなことが細かく書いてある。時刻は午前のもので、他の人から見ると大変非常識なスケジュールになっているのだが、一日に二回四時間ずつ寝て仕事をする生活をしているのでご容赦願いたい。テレビの録画を観(み)たらその番組名を書き、「気楽」とか「集中できない」「字幕が読めない」「理解できない」とか自分の状態を書く。「気楽」以外は認めたくないコメントだが、真実なので記録する。仕事は、二十五分のタイマーをかけて仕事をし、五分休んでまた二十五分仕事をする、というやり方で、たまに二十分ぐらい休んでしまうため、それも正直に書いて「休みすぎ」と注意を書き入れる。

 きっかけは、夏場にできるだけたくさん氷が欲しいので、製氷トレーに水を入れた時刻を記録して、氷ができる最短時間で取り出してまたセットする、というピストン輸送感覚で氷を作りたかったからだ。それに加えてその他の行動についても書いているうちに細かくなった。

 何時に何をするか迷った時の参考になるので続けているけれども、スケジュール以上に、読み返して印象に残るのは、実は自分が幸福感をいかに忘れやすいか、ということだった。ある日のわたしは、仕事終わりに紅茶を飲みながらトーストとゆで玉子を食べて幸せだったそうなのだが、簡単なことすぎて、これは記録しないと埋もれてしまうと思った。生活の中の山と谷はよく覚えているけれども、中間の状態のことは思い出さないと忘れてしまう。「喉(のど)元過ぎれば熱さを忘れる」のは、苦痛だけではない。今はむしろ、苦痛以上に幸福を忘れることを問題だと思う。変な不全感とか、理不尽な不満足感で身動きがとれなくなったときは、とりあえずトーストとゆで玉子を食べることにする。=朝日新聞2020年11月11日掲載