高校生の頃、兄姉といえるような上の世代の若い書き手の中に、とりわけ異色の、思いっきり妖(あや)しげな魅力を感じさせる人がふたりいた。堀切直人と須永朝彦(あさひこ)の両氏だった。編集者になってからこのおふたりと仕事ができたのはたいそう幸運だった。
ここにとりあげた須永朝彦は、あの塚本邦雄のかつての一番弟子であり、もちろん歌人として知られるけれど、若い頃は小説作品も多く書いている。なかでも、小さな出版社から出ていた『天使』と『就眠儀式』という蠱惑(こわく)的な題をもつ、美しい装丁の2冊の函(はこ)入り短編集には、いたく魅惑された。
美少年や吸血鬼、アンドロギュヌスや一角獣などに埋めつくされた、おそろしく典雅端正な文章の、とっても短い物語が秘めるふしぎな魅力については、千野帽子(ちのぼうし)さんが「氷菓子の厄介さ」にたとえている。これは名言だと思う。それで思い出すのは、『須永朝彦小説全集』の解題を担当された東雅夫さんと話している時、東さんが「もし三島由紀夫が生きていたら、須永さんの小説をどう評価したかはとても興味深い」という発言をされていたことだ。
大正に出た稲垣足穂の『一千一秒物語』が世間一般の評価を得るのには、50年の歳月を必要とした。よこしまなる美のはかなさを伝えるということで、タルホの掌篇(しょうへん)に似てもいるこれらの耽美(たんび)的作品が昭和の世に問われてから、はや半世紀近くが経っている。未来の若い読者たちが、須永朝彦の小説をどう読みどう感じとるかに刮目(かつもく)したい。=朝日新聞2020年11月18日掲載