1. HOME
  2. インタビュー
  3. junaidaさんの絵本「怪物園」インタビュー 怪物のいる現実、空想に遊ぶ子どもたち

junaidaさんの絵本「怪物園」インタビュー 怪物のいる現実、空想に遊ぶ子どもたち

文:日下淳子、写真:斉藤順子

現実と空想が逆転

――怪物園から次々と怪物が出てきて、ほの暗い街へ繰り出していき、「怪物がいて外に出られないから」と子どもが自分たちだけで空想の明るい世界を遊んでいく……という2つの明暗が、とても印象的でした。

 この絵本は、ページをめくるごとに現実と空想の世界を行ったり来たりします。怪物が出てくるのが空想の世界かと思ったら、実は怪物たちの方が現実。子どもたちが巻き起こすことの方が空想。現実と空想が逆転しているという作りになっています。しかも、通常なら空想の世界を描いたときには、そこに行ったまま、空想の物語が展開すると思うんです。でも、この本では何度も現実に引き戻される。その不思議さや怪しさというんでしょうか、そういう感じが出たらいいなと思って描きました。

『怪物園』(福音館書店)より

――『怪物園』は、前作の『の』や『Michi』 とはまた全然違う作りという印象があります。『の』は、わたし「の」お気に入り「の」コート「の」……と入れ子のようにずっと文章と絵が続いていく絵本でしたし、『Michi』は迷路のような道を女の子と男の子が表裏からずっと旅のように歩いてくる絵本でした。junaidaさんは、いつもどんなふうに絵本を作られているのですか?

 絵も文章も、物語を作るときには、あまり論理的には作っていません。生み出す瞬間は、自分のすごく感覚的な部屋の扉を、体の中で全開にするというか。普通に暮らしているときには閉じている部分を開くような感覚にまで持っていったときに、なにか出てくるんです(笑)。絵本を描き始めると身も心もそれに費やして、寝ているとき以外はほとんどずっと描いています。作っている間は尋常じゃないくらい集中しているので、身体が持って3カ月。作画は3カ月で仕上げないと限界なんですよ。

 絵本は3冊作りましたが、共通しているのは、読んでいるときに自分がどこにいるのかわからなくなるという感覚かなと思います。『Michi』も『の』も絵本としてはちょっと変わっていて、中面に言葉が入っていなかったり、本の最初から最後までひと続きの文章になっていたり、少し違う角度で作っていました。毎回違うものを作っていると思っているので、『Michi』や『の』を好きな方が、『怪物園』も好きになってくれるかわからない。でも、ずっと新しいものを作りたいと思っているので、もし次に絵本を出すとしても、今までのものと多分全然違ったものになるんじゃないかと思っています。

――今回の本は、前作より物語性は強くなっていますが、出てくる怪物は、なぜか表情なくただひたすら行進していますよね。恐ろしい感じはなくて、得体のしれないものがひたひた忍び寄ってくる感じがします。

 怪物という存在がなんなのかということを、この本を読み終わった後、読者の方はいろいろ想像されると思うんです。それはぼく自身も、いまでも「なんだろう」と想像しています。そうやって想像するとき、怪物が気持ち悪かったり、悪意を感じるような造形だったりすると、悪者のような対象にしかならないと思うんです。そうじゃなくて、何を考えているのかわからない、何を目的にしているのかわからない、だけれども、自分たちの暮らしている日常のすぐそばに非日常のものたちがやってきて、存在している、その不思議さとか怪しさって、実はどこかで感じたことがあるんじゃないかと思います。

 それぞれの人に、これってなんだろう? という問いかけを呼び起こすようなものを作っていきたいと、ぼくは思っています。読む人にとって、そのときどきで違って見えたり、読むたびに発見できるものでありたい。その人のペースで、その瞬間瞬間で、本とのやりとりが生まれたら一番いいんじゃないかなって思います。

作品に流れるリズムを大切に

――怪物の世界から、子どもたちの世界へとページをめくった瞬間、絵からぱっと光を感じるというか、笑い声や音楽が聞こえる感じがしました。この対比を描くとき、頭の中で鳴っているイメージのようなものはありますか?

 それは、ありますね。ぼくは、絵を見たり描いたりするときに、リズムが頭に浮かびます。本を作るときには言葉のリズムだけではなくて、ページをめくるときのリズムの変化であったり、そういうものを、イメージして作ります。たとえば美術館で絵を見るときもそうなんですが、自分の好きな絵にはビートのようなものが感じられるんですよ。そこに流れている感覚的なテンポというか、どう言葉にしたらいいかわからないんですけど、音楽的なものだけじゃない、雰囲気や流れに付随するリズムのようなものは意識しています。

――クライマックスの場面は、言葉だけで、絵ではあえて表されていないことに驚きました。

 ふつう、絵で描きますよね、この場面。でも後から考えると、描かないことがぼくの中では必然だったのだと思います。この本は読んでいくうちに、前半のハッキリとした現実と空想の変化の仕方が、どんどんあいまいになっていくんです。混ざってミックスされていくというか。その、なんていうのかな、あいまいになっていく中で、最後にこのシーンをそのまま描いてしまうのは、全然あいまいさがない。含みがない。やってしまうと、この本はちょっと成り立たない部分があるんだと思います。型にはめて、「これはこうなんだ」って言いたくないんですよ。

――そういうあいまいな不思議さは、装丁にも表れているように感じます。表紙に透明な怪物が印圧で描かれていたり、見返しの色紙に絵をのせているのも新しいです。

 デザインの面でも、本でしかできない表現というものをいつも考えて作っているので、装丁のコンセプトも含めて、トータルで作品を考えています。前作の『の』のときから、ブックデザインは、祖父江慎さんと藤井瑶さん(cozfish)にやっていただいていて、そのあたりのぼくの感覚をわかってくださっているので、デザインは2人と相談しながら、会話の中で決めて行くことが多かったですね。

 『怪物園』では、表紙から裏表紙、ページを開いた見返しにかけて、ずっと怪物たちの行進が続いている一枚絵を使っています。本を開いた瞬間から、中の物語で感じる怪しさに続くようにしたくて、見返しの青緑がかった色紙にも怪物を刷ることにしました。でもこの紙、実は印刷にはまったく向かない紙で、印刷するとインクが吸収されちゃって、絵が出てこない紙質なんです。だから怪物がはっきり視認できない。角度を変えて、光の反射を加えると見えるぐらいにして、不思議さとか怪しさが際立つようにしました。ブックデザインでも、いい意味での違和感というものを、導入部分と、物語が終わった後の余韻とで表せないかなと思ったんです。

――その感じ、すごく伝わってきますね。本当に表現方法が素晴らしいです。この一枚絵にはたくさんの怪物を描かれていますが、よく見るとかわいい子どものような怪物もいます。junaidaさんの中で、お気に入りの子はいるのですか?

 いますよ。でもどの子かは内緒です(笑)。どの怪物もみんな好きですし、読者の方にも一匹ずつ見て楽しんでほしいです。おのおのがお気に入りを発見して、「自分はこの子が好きだな」って思ってもらえたら嬉しいです。