平田オリザが読む
去る十一月二五日は、三島由紀夫が市谷の自衛隊で割腹自殺を図ってから五十年にあたる。私はそのとき八歳だったけれど、なんだか不思議なことが起きたという記憶は残っている。そして翌日から、小学校では切腹ごっこが流行(はや)った。
翌年(一九七一年)一月に行われた三島の告別式では、彼を世に出すことに力を尽くした川端康成が葬儀委員長を務めた。その川端も、さらに七二年に、ガス自殺を遂げる。北村透谷から芥川龍之介、太宰治を経て、日本近代文学の歴史は、作家の自死の歴史でもある。
「雪国」は言わずと知れた川端の代表作である。
冒頭の
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
は、「吾輩は猫である。名前はまだない」と並ぶくらいに有名だろう。昔はよく、このパロディーもあった。
主人公島村は、高等遊民のような作家で、雪国の温泉宿を幾度か訪れる。その訪れるたびごとに芸者駒子と関係を持ち、一方で別の葉子という娘にも惹(ひ)かれていく。
ひなびた温泉街に生きる女性たちの揺れ動く心情が、微細を極める風景の描写と相まって切なさを増す。
前回紹介した志賀直哉(川端の古くからの友人)の「城の崎にて」が、生物の生き死にの描写から生のはかなさを書いているのに対して、同じ温泉地を舞台にした「雪国」は、よりダイレクトに人間の生の不安定さと、それ故の輝きを描き出す。
西洋の前衛文学にも強い影響を受け「新感覚派」と呼ばれた川端だが、「雪国」は、芥川の物語の構造と、志賀の描写の妙を止揚するような形で生まれた。多くの先人たちの懊悩(おうのう)の果てに日本近代文学はここに一つの完結を見る。本作を書いた川端がノーベル賞を受賞したのは偶然ではなく、小さな極東の島国に生まれた近代文学という営み全体への、ご褒美であったと言っても過言ではない。=朝日新聞2020年12月5日掲載