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いなり寿司 畠中恵

 時々ふと、いなり寿司(ずし)が食べたくなる。

 一人暮らしを始める前は、親と一緒に、せっせとあげを煮て、一遍に沢山(たくさん)作っていたように思う。うちの親が作っていたいなり寿司は、三角で、お揚げは薄味。ご飯は酢飯、白ごまが入っていたように覚えている。

 お揚げが三角で、比較的淡泊な味だったから、西の系統のいなり寿司だと思う。だがそれにしては、中に詰めたご飯が五目などではなく、子供の頃は、いささか物足りなく思っていた。

 そして一人暮らしとなった今は、自分でいなり寿司を作ることもなくなった。少量作るのは手間なので、色々な店で買って、気軽に味の違いを楽しんでいるのだ。

 最近は、酢飯にわさびの入ったものが好きで、食べることが多い。だが目移りしやすい性分なのか、季節限定のいなりが隣に出ていると、つい、そちらにも手が出てしまう。

 いつぞや買った品は、鮭(さけ)梅マヨいなりという限定品だった。屋台でいなり寿司が売られ始めた頃の、江戸時代の人が聞いたら、目を丸くしそうな品だ。だがツナマヨおにぎりの、いなり版と言うべき風味で、梅のさっぱり感もあり、美味(おい)しかった。

 時代物を書いていると、つい、食べた料理が、江戸時代にあったかなとか、自分が書いている物語に出てきても、大丈夫か、などと考える。そしてその点で、いなり寿司というのは、なかなか微妙な食べ物なのだ。

 江戸では天保(1830~1844)の末頃(ごろ)、屋台に出たらしいが、店売りだともっと前からあったようだ。尾張名古屋や、三河の豊川だと、更に前の、1800年頃からあったのではとも、資料に書いてある。よって、1800年を過ぎた辺りの江戸のお話に、出して良いか拙(まず)いか、迷う。

 江戸時代は、伊勢参りが盛んだった。東海道沿いにあった名物ならば、江戸の者が知っていても、不思議ではないだろう。いや、おかしいか。迷ったあげく、結局自分が、いなり寿司が好きなので、主人公の自宅で作ったという設定にし、物語に出したことがある。

 主人公が作ったものは、細長い形に書いたが、江戸の屋台で売られていたいなり寿司は、かなり大きいものであったようだ。縦も横も、現代売られているものより、ぐっと大きい。深川江戸資料館においてあったレプリカは、半分どころか、四分の一に切っても、十分売れるような大きさであった。

 ただ、両端が切れたいなり寿司は、皿に載せて出されても、随分食べづらかったのではと思う。食べようとして、中身の酢飯を落としてしまう場面が、書けるような気がして楽しかった。=朝日新聞2020年12月12日掲載