1. HOME
  2. イベント
  3. オーサー・ビジット 教室編
  4. 自由に生き抜いていくために 教育研究者・山崎聡一郎さん@茨城・鹿嶋市立鹿島小学校

自由に生き抜いていくために 教育研究者・山崎聡一郎さん@茨城・鹿嶋市立鹿島小学校

文・中津海麻子 写真・御堂義乗

法律に違反しなければなんでもOK?

 「自由ってなんだろう?」

 鹿嶋市立鹿島小学校の体育館。舞台に立った山崎さんはマイクを握り、5年生、6年生にそう問いかけた。少し意外な問いに首をかしげる子どもたちに、山崎さんは重ねて尋ねる。「今、自分は自由だと思いますか?」。多くが「思う」と答える中、「思わない」という少数派も。その子たちに「自由になったら何がしたい?」と聞くと、「お金持ちになりたい」「好き勝手したい」「ずーっと寝ていたい」、中には「大統領になりたい!」というタイムリー(?)な答えも。

 山崎さんは、法律では、ものを盗んだり、人を傷つけたり命を奪ったりといった犯罪を禁じていることに触れた上で、「みんなが自由になったらやりたいと思っていることは、法律で禁止されていることではないけれど、そもそも『法律に違反しなければ何をやってもいい』と思う?」

 「ダメだと思う」という児童が多い中、考えたり迷ったりしている子も。「結論から言うと『法律に違反しなければ何をやってもいい』のです」と山崎さんが断言すると、「えー」「なんで?」と会場はザワザワ。

 刑法は、何をしたら犯罪になるかと、その犯罪に対する刑罰が定められている。ルールを破ると罰が与えられるから悪いことをするのはやめようと考える人が増えることで、犯罪が減り安心で暮らしやすい社会になることが期待できる。

 「やってはいけないことがあらかじめ法律で決められていて、そこに書かれていないことは何をやっても罰せられることはない。これを『罪刑法定主義』と言い、つまり『法律に違反しないことは何をやってもいい』ということなのです」

責任主義とは。プロジェクター映像をまじえて説明する山崎聡一郎さん

 真剣にメモを取る子どもたちに、山崎さんはすかさず二つ目のテーマを提示する。それは「自由の数だけ責任がある」。

 「今、法律に違反しなければ自由に何をやってもいい、という原則を話しました。それは、法律で禁止されていないのだからやるかやらないかは自分が決めるということ。そして、自分で決めたことには責任を持たなければならないのです」

 ここで刑法41条「責任年齢」の話へ。14歳に満たない人の行為に対しては、刑罰を与えない、というものだ。

 「たとえばジャングルジムで遊んでいて、友達を突き落としたとします。突き落とさないという選択もできたのに、突き落とすという選択をしたことに対して責任を取らなければならない。これを刑法では『責任主義』と言いますが、14歳に満たない人はそれを選択する力がないよね、と。犯罪にはなるものの刑罰は与えられません」

 授業に参加している小学生たちは、現在10歳から12歳。山崎さんは次のような話をした。法律に違反するしないにかかわらず、「やるかやらないか」を決めるのは自分。それは法律上のことだけではなく、これからどんな学校に進学するのか、そのためにどんな科目を勉強するのか、将来の夢はどうするのかといった「人生の選択」も自分で決める自由がある。一方で、法律上は14歳を過ぎれば「責任ある大人」として自分が決めたことに自分で責任を負う必要がある……と。

 「なぜ僕がこんな話をするのか。それは、自分の人生を歩んでいない大人が多いから」

 親や先生などから言われるままに進学や就職をして、「楽しくない、やりがいもない、自分に合っていない」と言い訳をする大人が多いというのだ。

 「残酷な話ですが、基本的に親は先に死ぬ。アドバイスはしてくれても君たちの人生に責任は持ってくれない。言う通りにしてうまくいけばいいけど、失敗したらその責任は結局、自分自身が負わなければならない」

 メッセージは続く。

 「君たちは14歳までには少し時間がある。これからどの学校に進むのか、どんな勉強をするのか、将来は何をするのかーー。もちろん大人に相談してもいいし、今はインターネットや本で情報を集めることもできる。自分が納得して選んだことであれば、たとえ失敗したとしても立ち直ることができるし、その反省が次の選択に生きてくるはず。誰かの言いなりの人生ではなく、自分の人生を自分で決めて生きてほしい」

難しいテーマにも集中して聴き入る児童たち

何をしてもいい……わけじゃない

 体育館での授業の終了後、教室に場所を移し、オーサー・ビジットに応募した図書委員たちの前に立った山崎さん。その口をついて出たのは、驚きの言葉だった。

 「先ほど体育館では『法律に違反しなければ何をしてもいい』と言いました。これから『法律に違反しなければ何をしてもいい、ということではない』という話をします」

 「え……!?」。いきなりの大どんでん返しにみんな戸惑った様子。山崎さんはかまわず話を進める。法律というルールに加え、人にはもう一つ守らなければならないものがある。マナー、すなわち道徳だ。

 「道徳は法律のような強制力はないので、守らなくても罰則はありません。たとえばあいさつはマナーで、あいさつしなくても罰されることはないけれど、したほうが気持ちよく生活できる。するかしないかは自由。つまり、自分で決めることです」

 さらに「法律は万全ではない」とも。「法律は基本的に私たちの社会で起きている問題を解決するために後追いで作られる。だから法律がまだ追いついていない領域が必ず存在するのです」

 たとえば、インターネット上の誹謗(ひぼう)中傷問題。被害者が自殺するなど社会問題化している。「面と向かって言えないようなひどいことは、そもそもネットでも言っちゃダメだよね、という話ですが、それは道徳の領域で、法律で禁止されているわけではない」と山崎さん。利用者の道徳心による「自主規制」に頼るだけでは手に負えなくなり、InstagramやTwitterといったSNSを運営する企業が、誹謗中傷するような言葉を投稿できないようプログラムによって「自主規制」していると解説。

 「僕が小学校や中学校のころ主流だったブログやネット上の掲示板でも誹謗中傷はあり、『死ね』といった言葉を投稿できないようにサービスを提供する側が自主規制しました。ところが誹謗中傷したい人は知恵を絞り『タヒね』というネットスラングを考え出し、規制をすり抜けた。『死ね』に見えるでしょ?」

 子どもたちからは「マジで?」「すげぇ……」と驚きの声が漏れる。SNSがさらに大きな影響力を持つようになった今、法律による規制を求める声は多いが、一方で「表現の自由」の権利を狭めることになるという意見もあり、結果、ネットの誹謗中傷問題は解消されないままだ。

 「『法律に違反しないことは何をやってもいい』んだけど、その自由の中で私たちなりに『これはやっちゃダメだよね』という自主規制の線引きをすることで、結果として自分たちの自由を守ることにつながる。もっとも大切なことは、誹謗中傷で傷つく人がいてはいけない、ということ。そのために私たちはいろいろな工夫をしなければいけないし、マナーを守る必要もある、ということなのです」

音楽室に場所を移しての「2時間目」。感染症対策のビニールシートがあるのは、2020年のビジットならではの光景

 体育館での授業とは真逆の話。山崎さんは「皆さんはもう感じているかもしれないけど、どちらも間違っていない。世の中には、正反対の意見だけど両方とも正解ということはあり得る」とし、最後にこんなエールを送った。

 「人種が違う、信じている神様が違う、肌の色も違う――。同じ日本人だって、いろんな立場、考え方の人がいます。そういう人たちと意見が対立しても、相手の話を聞く力、そして自分の主張を伝える力をぜひ身につけていってください。対立する意見のバランスを取っていく力が、これからの社会を生き抜く力になるから」