「大久保健晴(たけはる)という名前を憶(おぼ)えておいてください」
博学の友人が、初めて聞く若手の名前を挙げてから約1年。あるパーティーの席で、その名が書かれた札を胸に付けた人物が、眼(め)の前にいた。おそるおそる本人であることを確かめたあと、いままで書いたものを読ませてほしいと頼んだ。
1週間後に送られてきた論文の束には、徳川幕府初の欧州留学生となった西周(にしあまね)と津田真道(まみち)、さらには小野梓(あずさ)らの知識人が、西欧から何を学び、政体や法典など具体的な制度を構想したのか、克明に綴(つづ)られていた。
それは開国を機に欧米と対峙(たいじ)した日本が、法学や経済学など人文社会科学の受容を巡って繰り広げた思想的格闘のドラマであり、その原点はオランダの学知にあることを示していた。
蘭学(らんがく)は前近代の残滓(ざんし)と思い込んでいた私には、「近代日本の政治構想」と「オランダ」が結びつくとは思いもよらなかった。未開拓の領域に挑んだ新たな世界に魅せられ、夢中になった。
大久保さんの日本政治思想史は、オランダ語史料に遡(さかのぼ)る根源的なものゆえ、読解と考察の徹底ぶりは凄(すさ)まじかった。テーマは多彩でも軸はぶれないよう、骨格となる論文を選び修正を重ね、出版にこぎつけた。
数カ月後、オランダへ旅に出た。ライデンにある古い建物の外壁に、そこが西と津田の学び舎(や)であったことを示す小さなプレートを見つけたとき、偶然の出会いから始まった道程が完結したことを、実感した。=朝日新聞2021年1月6日掲載