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「群れるということ」本でひもとく ともに生きる重たさ、切なさ 詩人・伊藤比呂美さん

新入生へのサークル勧誘でにぎわう大学構内。こうした光景も過去のものに=2017年4月、東京都八王子市の中央大学

 昔、旅行者は、飛行機や車で人の群れに出会いながら、また群れをすり抜けながら移動した(一人で歩いたり運転したりして移動することもあった)。そして大学生は、家を離れ、大学に群れた(家を離れない人も群れない人もいた)。

 それができなくなっている今の状況を考えながら、岡田利規の『未練の幽霊と怪物 挫波(ザハ)/敦賀』を読んだ。

 穏やかになれない霊がある・その土地に結びつく記憶がある・人が訪ねてくる、そんな能の仕組みをそのまま取り入れてある新作能なんである。

 でもごく普通の口語で書かれてあるから、能楽堂で能役者によって演じられることはない。岡田さんの主宰する劇団で若い人たちによって演じられるわけで、その方が、観客一人一人の個人的な痛み苦しみを思い起こさせるんじゃないか。

出会い待つ日々

 先日岡田さんに早稲田大学の私の授業に来てもらった。Zoom(ズーム)のウェビナーだったから、170人の学生たちは岡田さんの顔を見られるが、岡田さんは学生の顔を見られない。学生は他の学生の顔も見られない。そんなクラスで、岡田さんは「能とはポケモンGOのようなものだ」と説明してくれ、「なるほどー」とみんなが納得した。

 この学生たちもコロナのど真ん中に生きる。どこかに行く、遭遇する、群れるという大学生の体験が人生からすっぽり抜け落ちたまま、能のシテのように、ワキの来るのを待っているのかもしれない。

 『樹木たちの知られざる生活』はドイツの森林管理官ペーター・ヴォールレーベンによる。専門家の書く専門の話ながら文章がわかりやすく、訳文が読みやすい。そして語られる事実は驚くことばかり。

 木々は群れて、助け合って生きる。連絡し合う根が糖分を分け合うこともある。公園や街路に一本ぽつんと植えられた木は頼る仲間がいないから、長く生きられないんだそうだ。

 木々が芳香を発する化学物質を出して情報を伝え合う。においの変化つまり化学物質の変化を、根や菌類のネットワークで遠くの木々にも伝え合う。

 ブナの木は「仲間意識が強く、栄養を分け合う。弱った仲間を見捨てない。仲間がいなくなると、木と木のあいだに隙間ができ、森にとって好ましい薄暗さや湿度の高さを保てなくなって(中略)最適な気候が維持できてはじめて、それぞれの木は自分のことを考え、自由に生長できるようになる」

 なんだか人生相談の回答のようだ。こんな箇所もある。

 「樹木自身の幸せは、コミュニティの幸せと直接的に結びついている。弱者がいなくなれば、強者の繁栄もありえない」

 こっちはジョン・レノンの「イマジン」でも聞いているような感じがする。

感傷のない営み

 『雑草のくらし あき地の五年間』は大判の絵本であり、漢字にはふりがなが振ってある。本当に子どもに読ませるための本のつくりだ。

 あき地に、雑草と呼ばれている植物がどのようにやってきてどう繁茂していくか、どう枯れて別の草に替わっていくかをじっくりと観察し、感情を抑えた正確な絵と感情を抑えた平易な文で語りつつ、植物が群れること、植物同士が押しのけ合うことはごくあたりまえのことだと私たちに伝えるのだ。

 四季はめぐるが感傷はない。草はただ群れ、その地をおおい、他の草を追い出し、やがて自分たちも他の草に追われていくという現実だけがある。

 戦記物を読んでいるようにメヒシバやオオアレチノギクの戦いにハラハラする。生きのびることの重たさ、そして群れることの切なさに胸が熱くなる。=朝日新聞2021年1月9日掲載