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藤巻亮太の旅是好日 将棋と音楽の途上、そこに交差する思い

文・写真:藤巻亮太

分厚い手で手加減してくれた父

 幼い頃、あまり頻繁にではないが父親と将棋を指した。といっても小学校の4年生くらいまでのことで、私と父のどちらが声をかけて指していたかも、今となっては忘れてしまった。当時はとにかく早く飛車を敵陣に入れて、その成った龍で駒を取ることしか考えていなかった。小さい子のサッカーのように非常に単線的なもので、王を囲うディフェンスの考えなど、そこには微塵もなかった。

 今思い返してみれば、父もよほど手加減をしてくれていたのだろう。それでもやはり負けると悔しくて、私は何度も挑んだ記憶がある。ただ、小学6年くらいにもなると段々と父親と将棋を指すのも照れくさくなるのか、自室でテレビゲームをしている方が楽しくなったからなのか、将棋との縁も次第に遠のいていった。だからといって興味がなくなったわけではなく、将棋は楽しいとのイメージは大人になっても残っており、実家に帰るとたまに弟と一緒に指した。

時を経て再び向き合った将棋

 将棋への興味が再燃したのは、2020年に出された緊急事態宣言の時だ。4月、5月と家からあまり出られない時期にオンラインで指すことにハマった。ところがあまりに簡単に負けてしまうので、将棋の入門書を買おうとAmazonで検索してみたら、その手の入門書の多いこと多いこと。結局どれがいいのか選べずに書店に行って手に取って中身を見たのだが、素人にはどの本がいいのか判断できないままに、直感で2冊の本を購入した。一冊は『羽生善治の将棋を始めたい人のために』(羽生善治、成美堂出版)で、もう一冊は『圧倒的破壊力! 藤森流なんでも右四間飛車』(藤森哲也、マイナビ出版)という本だ。趣味のサッカーもそうなのだが私は根っからの攻め好きであり、本の通りに棋譜を並べ、なるほどこう攻めてゆくのかと感心しながら勉強した。

 その頃、将棋に興味を持ち出したもう一つのきっかけは、AbemaTVの中の将棋コンテンツ「AbemaTVトーナメント」を見たことだ。持ち時間5分という超早指しが特徴で、有名棋士たちが3人一組のチームをつくり、トーナメントを勝ち進むというエンターテインメント性に特化した将棋番組だ。将棋のタイトル戦ともなると丸二日もかけ、長考に長考を重ねて勝敗を決する戦いもある。それに比べて「AbemaTVトーナメント」は試合時間が短く、駒もどんどん動くので、解説を聞いていれば素人でも序盤中盤終盤ごとに棋士たちの経験に裏打ちされた深い洞察、鋭い勘をフルに用いた白熱の戦いを楽しむことができる。

長い前置きの後で、オススメの1冊

 前置きが長くなってしまったが、今回取り上げたい本は樋口薫著『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)だ。実は「AbemaTVトーナメント」の中で自然と惹かれた棋士が木村一基九段であった。最年長の46歳で王位の初タイトルを獲得し、その直後のインタビューで家族への想いをたずねられて手拭いで目頭を拭ったシーンは実に感動的で、私も覚えていた。その後、藤井聡太さんとの注目の防衛戦に敗れたものの(私は木村さんを応援していた)、多くの将棋ファンの心を掴んでいる棋士だ。

棋士、木村一基。九段。力強い受け(守り)の棋風で「千駄ヶ谷の受け師」の異名をとる。トップ棋士としては遅咲きの23歳でプロ入り。22年間でタイトル戦に六度挑戦しそして全て敗れた。座右の銘は「百折不撓(何度失敗しても挫けないこと)」。(本編より)

 この本に書かれてあるように、木村九段の道のりは決して順風満帆だった訳ではなく、その姿を通して将棋界の戦いの厳しさや、10代、20代、30代、そして40代、その時その時の戦いがあるのだというリアリティが伝わってくる。棋士という身は、将棋界にある8つのタイトルを目指して鎬を削っているのである。本書は木村九段が46歳で王位の初タイトルを取るまでのルポルタージュである。

巧に戦う41歳でありたい

 今年、私も41歳になったことで、歳は少々上ではあるが木村九段にシンパシーのようなものを感じたのかもしれない。年齢を重ねるにつれ、体力的な衰えを誰もが感じてくる。木村九段も語っているのだが、将棋においてもやはり心技体の世界であるからして、体力が落ちれば心の粘り強さというところへも影響が出てくる。経験とともに安定を手にしていくことは出来るかもしれないが、いつしか野心が保身になり、誰よりも強く勝とうと励んでいたはずのものが、現状維持が当面の課題となりうるのもまた、真実なのであろう。歳を重ねる中で6度もタイトルに挑み、あと一歩でタイトルに手が届くところまで来てもそれを掴めずにいた。その心中に逆巻く風はいかほどだったであろう。不甲斐ない自分を責めて、酒を飲んで、酔っ払って、さらに惨めな想いをする。なお、他人事とは思えない(笑)。

 それでも自分の軸を立て直し、年齢に逆らわず、心技体を磨きながら若手の強い棋士たちに挑み、46歳で初めてタイトルを取るまでの物語は感動的なのだ。読み進めるうちに正直言って読者も、「また取れなかったんかい!」とツッコミを入れたくなるくらい悶々とした想いを感じるとともに、強く共感してしまう。ましてやご本人はどん底の想いだったであろうし、それでも百折不撓を地でゆくその生き様に心を打たれた。

 もう一つ、木村九段に惹かれたのはその人柄である。「AbemaTVトーナメント」でもよくお話しになるのだが、「受け師」であるとともに「ウケ師」と称されるように、お話がとても面白いのである。そして木村九段はとてもいい声をしていると感じた。人を和ませる独特のトーンの持ち主でいらっしゃるのだ。40代になってもいっそう自分の道を歩み戦い続けている人がいる。そのことに勇気をもらった。私は私の道で、音楽を奏でていきたい。