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「もののけの日本史」書評 郷愁を覚える死者と生者の交流

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2021年01月16日
もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年 (中公新書) 著者:小山聡子 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784121026194
発売⽇: 2020/11/24
サイズ: 18cm/281p

もののけの日本史 [著]小山聡子

 正岡子規は子供に「妖怪変化」のような荒唐無稽な話はしてはならないと言う。妖怪など存在しないと知っても様々なことを恐れるからだと。理屈よりも感情が勝ることを危惧する。妖怪学者・井上円了(えんりょう)まで同じようなことを言う。不可思議なものや感情を否定して理屈を肯定しろとは反芸術的行為そのもので決して認めるべきではない。このような考え方は現代にも通じる。
 モノノケと一言で言っても古代の貴族が恐れたモノノケと現代の物怪(もののけ)とは別物だという。霊、妖怪、幽霊、怨霊、化け物は全てモノノケとは言わず、区別する必要がある。
 さらに幽霊という言葉は世阿弥の新語であると誤解されてきたが、中世以前の願文などにも登場するという。幽霊は死霊や故人を指すが、モノノケや怨霊は人間と関わろうとはしない。だけど近世になると、怪談の流行によって幽霊が一般化し、文学作品に多く出てくるようになる。幽霊でないモノノケや怨霊、亡魂の類も幽霊と混同されていった。あら、ややこしい。死者の霊は全て今日的に考えると幽霊でいいじゃないかと思うが、そこは厳格でなければならないようだ。
 藤原道長の病気の原因はモノノケにとりつかれたせいらしい。死霊を追い出すためには、加持・祈禱(きとう)による調伏をするしかない。病がモノノケの仕業だとすると今日のコロナはどう考えればいいのだろう。私の幼年時代、戦前だけれど、祈禱によって病と対峙(たいじ)する慣習が残っていた。それで快癒した人もいたので、別に不思議とも思わなかった。
 死者や死霊と生者の関わりはごく自然の風習だったので、本書で芭蕉が成仏しない男女の霊と話をし、俳句を詠んで諭す実話的描写には一種郷愁さえ覚える。
 本書は軽い読み物というより、結構学術的で、モノノケ学に興味のある人を対象としている。残念乍ら私はその表層を流したに過ぎない。
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こやま・さとこ 1976年生まれ。二松学舎大教授(日本宗教史)。著書に『往生際の日本史』など。