平田オリザが読む
芥川、川端、谷崎といった巨星たちに隠れて、いまは読む人も少なくなってしまったが、大正文学と言えばこの人を忘れることはできない。志賀直哉、武者小路実篤らと同人誌「白樺(しらかば)」に加わった有島武郎は、しかし彼らに比べると少し年長で、しかもデビューは遅く、実質の活動は七年ほどに過ぎない。
有島文学の特徴を一言で言うなら、様々な矛盾を正面から真正直に受け止めた作風と言えるだろうか。幼少期から英語教育を受け、九歳で学習院に進学。皇太子の学友に選ばれるほどのエリート教育を受けてきた。しかしそれを嫌い札幌農学校に進み、内村鑑三らの影響を受けてクリスチャンとなる。
アメリカに三年間留学、彼(か)の地のキリスト教徒の堕落に失望し社会主義に関心を抱く。作家として成功してからも、親から譲り受けた農地を解放したり、大杉栄らのアナキストを支援したりするが、自らがその運動の中に入ることはなかった。
「小さき者へ」は、幼くして母を失った三人の子供たちを勇気づけるために書かれた感動的な手記だが、当の有島は、この五年後に人妻と不倫の上、子供たちを残して心中してしまう。まさに矛盾を抱えた生涯であり、彼の作品はその矛盾に向き合うために書かれた。
ただこの煩悶(はんもん)は、単に有島個人のものではなかった。明治の先駆者たちは、いかに西洋近代を受容するかに腐心した。しかし大正文学の旗手たちには、すでに近代は自明のものであった。日本国自体も第一次世界大戦で漁夫の利を得て、世界の一等国へと躍り出たかに見えた。しかし足下の貧困は目を覆うばかり、社会の格差は増大する一方だ。
白樺派は大正デモクラシー下の人道主義、理想主義の代名詞とされるが、そこにはすでに昭和のプロレタリア文学などへ向かう萌芽(ほうが)も見えている。 本作もまた、ただの感動の物語ではない。そこには、生の持つ根源的な寂しさと矛盾が描かれている。=朝日新聞2021年1月16日掲載