加藤典洋(のりひろ)さんは、特別にゆっくり考えることのできる人だった。周囲が「答え」にたどり着いた後も、自分の中の違和感を手放さずに考え続ける人だった。
『戦後入門』は当初、『アメリカの影』や『敗戦後論』といった著作の眼目を、若い読者に向けコンパクトに語りなおす企てだった。が、出来あがった原稿は1000頁(ページ)近い。敗戦後の日本が抱えた矛盾を、世界戦争の歴史の中に位置づけなおす壮大な内容だった。過去の自説をも更新しようと著者が問い続けた帰結だ。
新書の形で読者に届けるために、加藤さんと原稿を三分の二に圧縮する決断をした。そこで私に与えられたのは「読み手から見た本書の大雑把な流れを示す」という課題だった。原稿全体の、各章・各節の基本的な骨組みを描いては送る。加藤さんはぼんぼん文章を切って、整える。これほどの分量を捨てる作業は、著者にとって底なしに苛酷(かこく)なプロセスだったろう。
あまりに修正が膨大で、私には、もはや話の筋が通っているのかさえ分からなくなっていた。だが、直しが反映された校正刷(ずり)を読むと、文章の推進力と明晰(めいせき)さ、面白さがさらに増している。手品を見せられたような気分だった。
640頁に及ぶこの新書には、長くゆっくりと考え続けた人だけが描くことのできる広く大きな眺めがある。時間がかかる分、ずっと遠くまで見晴らせるのが本だ。加藤さんを思い出し、時折そう考える。=朝日新聞2021年2月3日掲載