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フーコー「性の歴史IV 肉の告白」 情欲は非意志的 自己内の解読へ 朝日新聞書評から

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2021年02月20日
性の歴史 4 肉の告白 著者:ミシェル・フーコー 出版社:新潮社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784105067120
発売⽇: 2020/12/21
サイズ: 20cm/554,20p

性の歴史IV 肉の告白 [著]ミシェル・フーコー [編]フレデリック・グロ

 本書はミシェル・フーコーの『性の歴史』の第4巻である。フーコーは生前に原稿を書き上げ、出版社に委ねたという。しかし、著者の遺志によってこの本は刊行されないままとなり、権利承継者の許可によってようやく日の目を見ることになった。30年以上の時を隔てて私たちの手元に届いた本書は、あるいはフーコーの理解を変える可能性を秘めている。
 そもそも『性の歴史』という著作自体が紆余(うよ)曲折を重ねている。セクシュアリティの歴史という、まさにフーコー的なプロジェクトの第1巻『知への意志』が刊行されたのが1976年である。そこから第2巻の『快楽の活用』と第3巻の『自己への配慮』出版までに、8年もの間が空いている(書いていてあらためて思ったが、フーコーの魅力は、そのタイトルのイメージ喚起力による部分も実に大きい)。
 現在、私たちはコレージュ・ド・フランスにおけるフーコーの講義をすべて読むことができるが、今日話題になる「生政治」講義はこの8年の間のものである。人間の生をいかに監視し、管理するか。近代のセクシュアリティをめぐる生政治の装置を追跡するフーコーのプロジェクトは、しかし、なぜか放棄される。
 そこでフーコーが向かったのは、「欲望の主体」の系譜学である。人間はいかに自分を「欲望の主体」として認識し、欲望の中に自分自身の真理を解読するか。その際、フーコーは古代ギリシア・ローマへと遡(さかのぼ)った。しかも、今回刊行された『肉の告白』では、初期キリスト教会における多様なテキストが取り上げられる。フーコーにとっての宗教(キリスト教)を考える意味でも、本書の意義は大きい。
 取り上げられるのは、悔い改めの実践、修道院の制度、童貞や処女性、そして結婚といったテーマである。しかし、注意しなければならないのは、性をめぐる節制というテーマは何もキリスト教の発明ではないことだ。むしろ重要なのは、古代異教世界で形成されたこのテーマが、キリスト教によっていかに変容したかである。
 印象的なのは、自分の欲望に打ち克(か)ち、自己を完全に支配するというギリシア的な節制に代わり、自己は自己によって欺かれるという、自己に対する不信が浮上することである。自己の内なる情欲は他者であり、非意志的なものである。だからこそ自己を不断に警戒し、読み解かねばならない。このような分析は本書の白眉(はくび)であろう。
 人間にとっての自己の問題に始まり、性が自己に対してもつ関係や、告白(カミングアウト)、さらに家族の意味など、フーコーは私たちに実に大きな宿題を残した。
    ◇
Michel Foucault 1926~84。20世紀のフランスを代表する哲学者。1970年にコレージュ・ド・フランス教授。著書に『狂気の歴史』『言葉と物』『知の考古学』『監獄の誕生』『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻など。