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【追悼】言語社会学者・鈴木孝夫さん 日本語から「人」掘り下げ、感性を世界に 慶応大教授・井上逸兵さん寄稿

鈴木孝夫(すずき・たかお)さん。10日、老衰のため94歳で死去。ことばが文化と社会の制約下にあると論じた岩波新書『ことばと文化』は、1973年に刊行され長く読み継がれている=親族提供

 先生とよくお話をさせていただくようになったのは、先生の晩年にあたる時期に入ってからだった。もっとも晩年という意識は私にはなく、多くの周囲の方々同様まだまだお元気で活躍されると思っていた。

 ご講演では常に聴衆を引き込み、会場は必ず爆笑の渦になる。先生のお話のファンも多かったと思う。

 先生は肩書を言語社会学者とされるが、ご著書やお話が「学問的でない」と言われることをむしろ愉快がられていた。それでも、先生の独創的な観察と論考によって、言語学の専門の道に導かれたものも多い。

 先生がされていたお話で私が一番好きなのはケンブリッジ大学に客員フェローとして招かれていた時の、ハイ・テーブルと呼ばれるフェローたる教授陣だけの席での食事の際のものだ。

 特に日本人なら恐縮しがちなこういう席でも先生は皆を冗談で笑わせたり、「知的ハッタリ」で感心させたりしていた。ある時、先生はフェローたちに「私はすべての英語の語を知っている」とうそぶかれた。

 先生の目論(もくろ)み通り、フェローたる教授たちがおもしろがって次々に「じゃあ○○という語を知ってるか」と質問を投げてくる。そして、見事に先生はそれらに答えていくのである。

 先生は、(知的)「ハッタリ」は大事、特に日本人が外国に向けてならなおさらだ、おとなしくしていたら誰にも見向きもされない、ただし、それには「仕込み」がなければ無意味、とよくおっしゃっていた。

 ケンブリッジのハイ・テーブルでの「仕込み」は、こうだ。先生は、こういう場合、教養ある英国人は必ず難しい単語を持ち出してくると読んでいた。そして、英語の難しい単語はだいたいラテン語かギリシャ語起源だが、先生はどちらも教鞭(きょうべん)を執(と)られるくらい熟知されている。英語の「難しい」語の意味など、わけなくお答えになるのである。

 この話は、いたずらっ子のような先生の一面を物語ると同時に、底知れぬ「仕込み」の一端を示すものだ。

 先生の論考を一つにまとめることは難しいが、明治以降、近代日本の礎となった西洋思想、西洋語に対し、日本的世界観、日本語の独自性、意義を一貫して説かれていた。先生の動植物愛に満ちた自然観も、西洋の、自然と対峙(たいじ)する人間至上主義に対する日本的な世界観の上にある。その独自の価値は、先生の著作の多くが外国語に翻訳されていることにも表れている。

 今や日本的感性が世界に貢献する時だ、日本、日本語の価値を自覚し、自信を持って発信せよ、という思いを特に晩年は強くお持ちになっていた。ただ、国際英語の時代で、日本的な英語でかまわない、とおっしゃる一方で、先生自身はきれいなイギリス発音で英語を話された。薄っぺらな発信主義の英語教育論者とは次元の異なる「仕込み」を感じさせた。

 先生の師・井筒俊彦の言語論が「神」に向いたものとするなら、先生のそれは「人」を深く掘り下げた「ことばの人間学」だった。先生のようなスケールの知性をもつ人物はもう現れないのではないかと思う。残念で、さびしい。=朝日新聞2021年2月24日掲載