関西に二度目の緊急事態宣言が発出される直前、私は愛知に向かっていた。昔から私を可愛がってくれた親戚が倒れ、医師の話では今日明日が山という。「最後に会ってやってくれ」との親類の連絡に、これは不要不急に非(あら)ずと駆け付ければ、当人の容体は案外落ち着いていた。だが、いつ急変するか分からない。親類は「すぐ葬式になろうから、残ったらどうだ」と言ってくれたが、人の死を待つ行為が苦痛でならず、私は滞在一時間でとりあえず帰路についた。
名古屋駅新幹線ホームには、カメラを持った男性が大勢いた。おやと思った瞬間、黄色い新幹線が入線して、そこここでシャッターが切られる。電車に疎い私でも知っている。十日に一度、東海道・山陽新幹線区間を走って設備状況を測る新幹線のお医者さん、ドクターイエローだ。
運行日もダイヤも非公開のため、「見ると幸せになれる」との都市伝説があるレア車両。彼らはその走行情報を入手し、撮影に来たのだろう。中のお一人が、「姉ちゃん、あげるわ」とご自身で撮られたと思(おぼ)しきドクターイエローの写真を下さった。
幸福をもたらすとの噂(うわさ)にも関わらず、私はまさに親類と死に別れようとしている。一方でこの車両を見た人の中にはきっと、「おかげでいいことがあった」と感じる方もいよう。広い視野で見れば、いま誰かが哀(かな)しみに暮れているのと同じ空の下には必ず、喜びに満ちた人もいる。それはとても残酷で、だが同時に救いのある世の理(ことわり)ではあるまいか。
そんな事実を嚙(か)み締めた翌日、親類から「数日内にということはなさそうだ」と連絡が来た。更にしばらくして来た電話は、「リハビリが始まった」との報告で、かくして本人は今や退院を検討されるほど元気である。なんと、全ては誤診だったのだ。
次に愛知に行く折は、あの日もらった写真を退院祝いに渡そう。そう思う一方で、名古屋駅で気づいた事柄を決して忘れはできない。一瞬だけ見かけた黄色い新幹線は私にとって、今後も人生の師である。=朝日新聞2021年2月24日掲載