1. HOME
  2. コラム
  3. 大好きだった
  4. 斜線堂有紀さんの幼心に恐怖を植え付けた映画「インビジブル」 恐怖の館?夢の城?映画に囲まれていた日々

斜線堂有紀さんの幼心に恐怖を植え付けた映画「インビジブル」 恐怖の館?夢の城?映画に囲まれていた日々

 幼い頃、私の家には怖いものが沢山あった。「チャイルド・プレイ」のチャッキー人形、「マーズ・アタック!」の宇宙人のフィギュア、「エルム街の悪夢」のフレディのフィギュア、「スクリーム」の仮面、近づくと銃声がする「スター・ウォーズ」のストームトルーパーなど……。廊下にもリビングにも怖いポスターやフィギュアがあるので、私は自分の家を恐怖の館だと思っていた。幼稚園から帰る度に、何か家に怖い物が増えていないか怯える生活を送っていたわけである。しかし、両親は私を怖がらせる為に、家をホラーハウスに改造していたわけではない。彼らは私が生まれる前から映画好きであり、私に配慮することなくシネフィルハウスだったのだ。

 特に父親が映画好きだったので、家のどこかでは常に映画が流れていた。父親の部屋でもご飯時のリビングでも、ジャンル問わず色んな作品が上映されていた。そんな環境にいたからか、私も映画の雰囲気は好きで、コミカルな場面や帽子を被った男が格好良く馬に乗る場面でははしゃいでいた思い出がある。しかし、この家に子供に対する配慮的なものは何もなかった。即ち、子供が観たら怖いようなものでも平気で流れていた。

 物心ついて最初に怖かった映画は「ヘル・レイザー」だった。ピンヘッドは幼稚園の私には厳しすぎるビジュアルをしていた。ギャン泣きする私は父親に流すのを止めてくれと訴えたのだが、怯えている我が子を見た父親は、何を思ったか「ヘル・レイザー」のあらすじを説明し始めた。恐怖をやわらげる為に必要なことは目の前のものへの「理解」だと、今なら分かる。だが、幼児にそんなものは無理である。その後も我が家のテレビでは普通に古今東西のホラー映画が流れていた。

 先述の通り、家には怖いもの──映画グッズが大量にあったのだが、私がそれを怖いと言う度に、両親はその映画を観せることで対処しようとした。多分、名作であることを説明しようとしたのだろう。間違ってはない。だが、幼児にそんなものは無理なのである! そもそも「チャイルド・プレイ」は観た方が怖かった。だが「グレムリン」のグレムリンとギズモのフィギュアだけは、映画を観た後には好きになった。両親の対処法は間違っていなかったのかもしれない。

 小学校に上がる頃には、映画を楽しむことが出来るようになり、私の家が恐怖の館ではなく映画好きの家だということに気づき始めてきた。私に銃声を浴びせかけてきたストームトルーパーはロマン溢れるクローン兵士だということを知った。「チャイルド・プレイ」は怖いけれど面白い映画になった。壁に貼ってある「ダーティハリー」のポスターは最高に格好良いものに変わった。私の家は恐怖の館ではなく、夢の城だったのだ。

 こうして、理解を得る度に自分の家の恵まれた事情に気がついた。あの頃はただの理解が出来ない映像だったものが、ちゃんとした作品になった。その後に改めて、自分が観たものが「ペイルライダー」であり「がんばれ!ルーキー」だったりすることを知ったのだ。今思うと、父親はクリント・イーストウッドのファンだったらしい。

 その中で、一番印象が変わったのは「インビジブル」だった。

 「インビジブル」は、透明人間薬を開発した天才科学者が起こす犯罪を描いたSFサスペンス映画である。この間、同じ原作からリー・ワネル監督が「透明人間」を公開して話題になった。

 私がリビングで初めて観た時、流れていたのは薬の実験でゴリラが透明になっていくシーンだった。小学校低学年の頃には毎日スターチャンネルが流しっぱなしになっていたので、確かそれで観た。薬を打たれたゴリラが段々と透けていき血管を剥き出しにしていく場面は、幼心に多大なる恐怖を植え付けた。

 しかし、映画というものを理解し、改めて「インビジブル」を観たら、それはもう面白かった。人間が透明になるとはどういうことか? で、「瞼が透明になったから常に眩しい」という描写が出てきた時は、埒外の悩みに直面し、透明人間にはなりたくないと心底思った。姿の見えない殺人者にどう対抗するのか、果たして生き延びることは出来るのか。その攻防戦を楽しめなかった子供の自分を哀れに思った。子供からしたらたまったものではないが……。

 そういうわけで、今や私も立派な映画好きに成長した。デビュー作も映画に関する話だ。リビングでスターチャンネルを流しっぱなしにしておいたお陰かもしれない。今では、断捨離が進んだ実家に映画グッズはほぼ無い。本とDVDだけが大量にあり、図書館のような落ち着いた家になっている。もう恐怖の館でも夢の城でもない。

 だが、私にとって家が恐怖の館であった時代こそ、一番得がたい時代だったのかもしれない、とも思わなくないのである。

 それにしても、幼児にチャッキーは駄目だろ。