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ゴーゴリ「外套」 自我むき出しの恐怖と絶望

Nikorai V. Gogol(1809~52)。ロシアの小説家、劇作家

桜庭一樹が読む

 二〇二〇年大晦日(おおみそか)の午後二時過ぎ、“東京都の一日の新型コロナ感染者数がいきなり千三百人台になった”というニュースが流れたころ。我が家に冷凍の毛蟹(けがに)が届いた。途端に心が不安から高揚へと移行し、もういい大人なのに「我“蟹を持ちし者”なりぃっ!」としつこく言ったり、道を歩いても「あの人はきっと蟹を持ってないだろう」などと思ったりし始め、送ってくれた知人も「えー、そこまで喜ばれるとは。日本海育ちの人は蟹が大好きなんですね?」と驚いていた。ストレスで弱まって剥(む)き出しになったわたしの自我の皮膚が、うまそうな朱色の蟹の外殻に覆われていき、あの日のわたしはまさに一人の、いや、一杯の蟹人間であった。

 ところで、今日ご紹介する作品は、あのドストエフスキーをして「われわれは皆ゴーゴリの『外套(がいとう)』の中から生まれた」と言わしめる、ロシア文学史上最も重要で、同時にヘンテコで、大、大、大傑作な小説なのだ。

 アカーキーは職場である役所で長年軽んじられ、辛(つら)い日々を送っていた。だがある日、立派な外套を新調し、晴れがましい満足を感じ、心が激しく高揚する。職場の人々も彼を祝福。だがほどなく、夜道で外套を奪われてしまった。衝撃のあまり、なんと、アカーキーは……?

 個人としては善人なのに、社会の一員となると加害者に豹変(ひょうへん)する人物たちが主人公を苦しめる様(さま)に、人間の普遍性を感じさせられる。弱ってしまった自我を守るための第二の皮膚としての“外套”と、それを奪われた時の恐怖と絶望にも、時代や国境を超えて強烈に共感させられる。そんな物語を、著者は天才としか言いようのない憂鬱(ゆううつ)でこっけいな独特の筆致で、何か異常なる面白さをゴボリゴボリと溢(あふ)れさせつつ、紡いでいく。

 ロシア人の外套、日本海育ちの蟹。誰しもが、辛い時は防御壁を作って外界から己を守ろうとする。だが、それを奪われると実は前より脆(もろ)い……。そんな悲劇的な結末もまた皮肉な普遍性に満ちているのだ。(小説家)=朝日新聞2021年3月6日掲載

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