1. HOME
  2. 書評
  3. 「現代アートを殺さないために」 美術評論が書かぬ生々しい実態 朝日新聞書評から

「現代アートを殺さないために」 美術評論が書かぬ生々しい実態 朝日新聞書評から

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2021年03月13日
現代アートを殺さないために ソフトな恐怖政治と表現の自由 著者:小崎哲哉 出版社:河出書房新社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784309256641
発売⽇: 2021/01/05
サイズ: 19cm/384,18p

現代アートを殺さないために ソフトな恐怖政治と表現の自由 [著]小崎哲哉

 一昨年の芸術祭「あいちトリエンナーレ」では、「表現の不自由」を問う展示が大量の非難や脅迫で中止に追い込まれ、国の補助金が一方的に取り消された。日本の「自由」の実情を象徴する事件だ。
 だが従軍慰安婦を題材とした作品ばかりが注目され、またあの話かと、大勢は無関心ではなかったか。問題の核心はどこにあるのか。アートの世界で何が起こっているのか。本書はそこに斬り込む。
 2014年、「すべてはこの年に始まった」。内閣人事局の設置と同年、文化行政でも、展示作品へのクレームや国際交流事業での中国・韓国外しなど、政権による介入が進んだ。「最近は放射能、福島、慰安婦、朝鮮など」は「NGワード」というわけだ。
 「忖度」(そんたく)は公立美術館にも浸透し、表現の自由を守るべき場が抑圧の舞台になった。行政側の自己規制、学芸員と作家の軋轢(あつれき)、作家自身の逡巡(しゅんじゅん)。美術評論が書かない生々しい実態が、当事者への取材で明かされる。決定済みの公金助成を、政権がたやすく覆したあいちの事件は、「ソフトな恐怖政治」が隠微な段階から公然と姿を現した点で、まさに画期的と言える。
 ポピュリズムが勢いを増す現代世界では、先端的な芸術表現に対する規制は「どこでだって起こりうる」。著者は、アメリカの保守・リベラル間で続く文化戦争を参照して警鐘を鳴らす。多様性の尊重と現代アートへの高い関心は、どちらもトランプとその支持者が忌み嫌う「エリート」の徴(しるし)だ。ネットを「炎上」させて展示を潰し、「お上」が補助金停止でお墨付きを与える。この「悦楽」に目覚めた勢力が、日本版文化戦争の「ひと役を担う可能性がある」。あいちの芸術祭は、深刻さを可視化し、議論を巻き起こした点で、実は企画者の狙い通りだと著者はみる。
 広汎(こうはん)な取材に基づく対案や課題の指摘は明快だ。現代アートは日常の感覚や自明さを逆撫(さかな)でする批判精神によって、私たちの世界観を拡張する。そのような「意見や感性の多様性」を示すことに、文化・芸術への公金支出の役割がある。現状を傍観すれば、奪われるのは私たちの多様性を享受する権利だ。アート関係者が団結し、声を上げるべきだとの直言は、広く社会にも向けられている。
 コロナ禍で、抑圧に拍車がかかる危険性は高い。だが分断を煽(あお)るパンデミックの歴史は、目を背けたい現実をあえて突きつける芸術表現の革新をも生みだしてきた。本書がふれる実例は、現代アートの今後の戦い方に示唆を与える。
 折しも愛知県知事のリコール請求で大量の偽造署名が発覚した。著者の取り組む、芸術と社会の接点で論じるアートジャーナリズムが、今ほど必要な時はない。
    ◇
おざき・てつや 1955年生まれ。アートプロデューサー/ジャーナリスト。「REALKYOTO FORUM」編集長。京都芸術大教授。著書に『現代アートとは何か』、編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』など。