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佐藤究さん「テスカトリポカ」インタビュー 暗黒の資本主義と血塗られた古代文明が交錯する、魔術的クライムノベル

佐藤究さん=有村蓮撮影

コーマック・マッカーシーを指針として

――『テスカトリポカ』はメキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人バルミロ・カサソラが、潜伏先のジャカルタで日本人臓器ブローカーと知り合い、神奈川県川崎市で心臓売買のための組織を作りあげていく……という衝撃的内容のクライムノベルです。前作『Ank: a mirroring ape』から約3年半ぶりの長編となりますが、執筆の経緯を教えてください。

 『Ank』を書き終える前だったと思うんですが、KADOKAWAの編集者から「クリストファー・ノーランの『ダークナイト』みたいな小説を書きませんか」というオファーを受けたんです。善悪を超越した、存亡を賭けた戦いを描いてくれと。当初は故郷の福岡を舞台にするつもりでしたが、九州だとうまく話が展開しなくて、考えた末に川崎を舞台にしました。東京と多摩川を挟んで向かい合う川崎は、リオ・ブラボーでアメリカ合衆国と隔てられたメキシコを連想させます。
 執筆中は川崎のホテルに長期滞在して、町の空気に触れながらディテールを作りあげていきました。ごみ収集車から流れる「好きです かわさき 愛の街」という曲も、取材中に耳にしたものですね。

――バルミロの過去として、メキシコ国内での壮絶な麻薬戦争が描かれます。警官や新聞記者を殺害し、メキシコ北東部を恐怖で支配していたバルミロの〈ロス・カサソラス〉。しかし敵対するカルテルによって家族を殺害され、バルミロは潜伏生活を余儀なくされました。

 麻薬戦争についてページを割いたのはいくつか理由があります。まず日本の犯罪に比べても、メキシコの暴力って次元が違うじゃないですか。『テスカトリポカ』は暴力シーンがすごいと言っていただくんですが、ノンフィクションを読むと現実の方がはるかに悲惨です。自分はノワール作家としては後発なので、人よりインパクトのある題材を扱わなければと思いました。
 麻薬戦争を背景にしたコーマック・マッカーシーの小説『血と暴力の国』の影響も大きいですね。20代後半に純文学でデビューして全然売れなかったんですが、マッカーシーに出会ったことで、こういう形での出力なら日本でもニーズがあるかもしれないと思った。それ以来、『血と暴力の国』は自分の指針のひとつなんです。
 少しメッセージじみたことを言うと、麻薬くらいいいじゃないか、誰にも迷惑かけないんだし、という論調がありますよね。でもその麻薬はどこから来て、支払ったお金がどこに流れているか、一度考えてみた方がいい。麻薬戦争の悲惨さを知ることは、薬は体に悪いというよりはるかに抑止効果があると思います。

臓器売買ビジネスは資本主義の行きつく先

――日本人臓器ブローカーの末永と出会ったバルミロは、国際的な臓器売買ネットワークを作りあげていく。彼らが富裕層に売るのは、体にたった一つしかない心臓です。麻薬のみならず、臓器売買という犯罪を扱われた理由は?

 世界での臓器売買を追った『レッドマーケット』というノンフィクションの影響です。麻薬を頂点とするブラックマーケットに対して、臓器が売買されるのがレッドマーケット。麻薬密売人と心臓密売人の両方を扱った方がよりインパクトがあるし、現実に世界規模で行われている臓器売買は、弱者が搾取されるグローバル資本主義の行きつく先という気がします。

――バルミロと末永の臓器売買ネットワークは、怒りや怨恨といった個人的感情を超えたレベルで、システマティックに犠牲者を生み出してゆく。犠牲になるのが弱い立場にある子どもということもあり、心底ゾッとさせられます。

 これはピエール・ルジャンドルが言う「マネージメント原理主義」ですね。必要なのは経営管理であって、善悪はもはや関係ないんです。心臓密買人だって、目の前にいると優しい人かもしれない。でもそれはビジネスが絡まないからで、ひとたび金銭の戦争になった際には、容赦ない凶暴性を露わにする。少なくとも僕は、このバルミロの周りにいる連中とは、絶対部屋で二人きりになりたくないですね(笑)。

――バルミロに率いられた「家族」(ファミリア)は、川崎市内の自動車解体場などを拠点に、殺人などさまざまな凶悪犯罪に手を染めていきます。作中で描かれる犯罪手口は大胆かつ巧妙で、裏社会をのぞき見している気分になりました。

 危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレス君をはじめ、裏の世界に通じた友人たちから、世界の犯罪者の実態を教えてもらっています。クライムノベルは時代の先端を描くべきなので、生の情報はありがたいですね。自動車解体工場が犯罪の温床になりやすい、というのもゴンザレス君の本で知ったこと。彼らの話を聞いていて思うのは、犯罪者はもともと海を越えた存在だということです。犯罪者はリアリストなので、国境のハードルを感じることなく、利益のために海外とも手を組むことができる。犯罪の現場は世間が思っている以上に、目まぐるしく動いていますよ。

人は太古から人身供犠をくり返してきた

――佐藤さんもおっしゃったように、暴力シーンが凄まじいですね。後にファミリアに加わる川崎生まれの少年・土方コシモが少年院入りする原因となった惨劇、死亡した麻薬常習者の処理、組織に敵対する人物へのとてつもない拷問。残虐描写にかなり力を入れているのでは。

 バイオレンスはそんなに苦労しないで書けるんです。映画でいう特殊効果みたいなもので、派手にすれば盛りあがりますから。それよりは多摩川でカヌーを漕ぐとか、自宅に帰ってきてNetflixを眺めるとか、静かなシーンを書く方が消耗しますね。どんなに悪い奴でも、一人になる瞬間がある。そこに漂う張り詰めたものをうまく表現できれば、印象に残るシーンになると思うので。
 バイオレンスは脳髄だけで作ると陰湿になりがちなので、左ミドルを蹴られた時に肝臓がグッとなる感じとか、そういうフィジカルな経験を使って書くようにしています。

――タイトルの『テスカトリポカ』とは、生け贄の心臓を求めるアステカ王国の神。バルミロは亡き祖母の影響でこの古代の神を信仰しており、心臓売買ビジネスにも宗教的意味を重ね合わせます。ノワールにアステカ神話の要素を取り入れたのはなぜでしょうか。

 人類の暴力性について考えていて、世界中に伝わる人身供犠のことが気になったんです。その代表的なものとしてアステカ神話を取りあげましたが、日本にだって人柱とか八岐大蛇の伝説のように、何かに生け贄を捧げるという信仰があります。こんなことをするのは地球上でも人間だけですよ。動物の世界にも弱肉強食はあるけど、強者が弱者を一方的に搾取する、という構造にはなっていない。
 この人身供犠について考察した批評家のルネ・ジラールによると、暴力は伝染性があり、暴力衝動の広がりを抑え込むために、生け贄を求めてきたという。それって現代のネットリンチの構図とも変わりませんよね。人類は大昔から残虐行為をくり返してきて、しかもそれを忘れ去っている。その構造を炙り出すことは、とめどないバイオレンスを解除するカギになるかもしれない、と思ったんです。

不可知のシステムを描くのが、フィクションの基本

――アステカ神話にはもともと興味をお持ちだったんですか。

 神話的なもの、スケールの大きなものは好きでしたが、アステカについてはこれを書き始めてから調べました。日本で研究している人が少ないので、資料集めには若干苦労しましたけど、ラヴクラフトのクトゥルフ神話のような部分もあって、知れば知るほど面白かったです。アメリカのポップカルチャーにも、アステカ神話の要素は入りこんでいる。たとえばホラー映画『悪魔のいけにえ』の元ネタのような神話も、アステカにあります。考えてみればテキサスとメキシコは地理的にも近い。自分が親しんできたエンタメの元ネタはこれだったのか、という発見がありました。

――リアルな凶悪犯罪とアステカの神話がシームレスに繋がることで、現代日本に魔術的世界が立ち現れてくる。広義の怪奇幻想小説としても、たいへん読み応えのある作品だと思いました。怪奇幻想方面へのご関心は?

 世界にはまだ解明されていない、不可知のシステムみたいなものがある。それを信じるのは、ホラーだろうが純文学だろうが同じで、芸術の基本じゃないでしょうか。学問的に証明できるものではないかもしれないけど、そこに賭け金を置かないと、フィクションを書いている意味がない。
 ポーも夢野久作も澁澤龍彦も三島由紀夫も、みんな教科書とは違う世界があると教えてくれたし、自分もカルトにならないぎりぎりの範囲で、それを表現しているという自覚はあります。

――純文学作家としてのデビュー作『サージウスの死神』の頃から、超越的なものへの志向は表れていましたね。

 『サージウス』の頃も、本当は『テスカトリポカ』みたいなことがやりたかったのかもしれないですね。でも当時はマッカーシーも読んでいなかったし、アウトプットの仕方が分からなかった。20代でできなかったことが40歳過ぎて、やっと技術的にも意識的にもできるようになってきた。若者たちへのメッセージとしては、夢は早いうちに見ておいた方がいい。今は無理でも、20年後にできるかもしれないから。

数は少なくても、記憶に残る試合をしたい

――ところで佐藤さんは乱歩賞受賞前夜、ゾンビ小説を書かれていたとか。どんな作品だったのですか。

 GHQの占領下に置かれた日本のゾンビが現れて、特攻崩れがそれを追うという話です。講談社の編集者の勧めもあって乱歩賞に出そうと思ったけど、未完なのに700枚もあった(笑)。乱歩賞の規定枚数が550枚ですから、これは危険だなと思って、急遽別の作品を書き上げました。小泉八雲マニアの殺人鬼が、占領期の日本にやってくるという実験色の強いミステリーでした。一次選考は通過しましたが、そこまででしたね。その翌年に応募したのが再デビュー作の『QJKJQ』です。

――小泉八雲マニアの殺人鬼ですか!それは大いに気になりますが、あらためて発表されるご予定は。

 駄目だったものは、深追いはしたくないんです。ジャコメッティのアトリエに埃をかぶった彫刻が放置してあって、それを見たジャン・ジュネがなぜ世に出さないのかと尋ねたら、作品に力があれば勝手に出るだろう、と答えたそうです。極論すればそういうことで、もちろん運不運もありますが、出るべき作品は放っておいてもいつか世に出る。逆にパワーが足りない作品は、無理に押しても離陸しない。今後小泉八雲を扱うとしても、まったく別の形になるでしょうね。

――再デビューから5年で、刊行された著作は3冊。多いとはいえませんが、いずれの長編も読書界の話題をさらいました。今後もこのようなペースで執筆されていく予定ですか。

 そうですね。試合数を増やすのではなく、数は少なくても記憶に残る試合をしたいと思っています。最近は全国から書店が減っているし、そもそも本屋に行かない人も多い。娯楽の消費のスピードも速くなっていて、出せば売れた上の世代のビジネスモデルが、もはや通用しなくなっています。そんな時代に『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』と競おうと思ったら、一発の重みで勝負するしかない。内容はもちろん、装丁のインパクトも含めて、すべてK点超えして初めて目に留めてもらえる。厳しいといえば厳しいですよね。
 ただ自分は業界から一度消えているので、色々言われても平気だし、褒められても心は醒めています。業界への理想もない。ただ売れない純文学作家時代、不良在庫だったという負い目があるので、その頃の恩を返そうとは思っています。純文学作家として死に、エンタメ作家として生き返ったので、僕自身がゾンビみたいなものなんですよ(笑)。