「寺田寅彦『物理学序説』を読む」書評 現代に問う 色あせない世界観
ISBN: 9784908941245
発売⽇:
サイズ: 20cm/300p
寺田寅彦『物理学序説』を読む [著]細谷暁夫
寺田寅彦は独創性にあふれる稀有(けう)な物理学者にとどまらず、並外れた文学的才能を併せ持っていた。その達意の随筆を知らない日本人はいないであろう。
彼が1920年から25年ごろに書いたとされるのが未完の『物理学序説』。その内容は題名から連想されるものとは違い、寅彦ならではの哲学的科学論である。
本書は、物理学者である細谷氏による現代的視点からの解説、文学者の千葉俊二氏と細谷氏のメール対談、寅彦の『物理学序説』草稿、高弟の中谷宇吉郎による後書(あとがき)から成る。この重層構造が提供する相補的視点を通じて、寅彦独自の科学論の醍醐(だいご)味が満喫できる。
哲学と科学、自己と自己以外、数学との関係、実在、感覚、因果律、偶然などの章題を眺めるだけで、狭い意味での物理学的知識ではなく、その背後の世界観そのものを伝えようとした寅彦の意図が感じられる。
「科学の研究に体験のない人の科学論には、時々隔靴掻痒(そうよう)の感を伴う」との中谷の指摘は、今日ではより深刻だ。高度な細分化が不可避な研究最前線であれ、最新科学がもたらす多くの新たな知見を総合し、その哲学的意義を俯瞰(ふかん)できる視野を兼ね備えた研究者が求められている。
本書は、物理学を知らずとも、読みすすめることが可能だ。しかし、広い意味で科学に携わる人たちにこそぜひご一読頂きたい。
寅彦は、『物理学序説』の前半で、物理学はHowの学問でWhyの学問ではないという言葉が浅薄に誤解されていると述べている。しかし残念ながら、HowとWhyの違いを論じかけた部分で、草稿は中断している。果たしてそこに何が書かれるはずだったのか。
100年後の今でも全く色あせることがない寅彦の物理学的世界観を、再び世に問うてくれた細谷氏と窮理舎に心から感謝したい。
いつでも手の届く場所に置いておき、時間をみつけて何度でも読み返し、じっくり味わいたい秀作だ。
◇
ほそや・あきお 1946年生まれ。東京工業大名誉教授(宇宙論、量子力学)。著書に『時空の力学』など。