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「恋するアダム」書評 自由に筋をそれつつ世界を語る

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2021年03月27日
恋するアダム (CREST BOOKS) 著者:イアン・マキューアン 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784105901714
発売⽇: 2021/01/27
サイズ: 20cm/399p

恋するアダム [著]イアン・マキューアン

 英国人作家イアン・マキューアンが世界文学を担っていることに疑いはない。特に私は『贖罪(しょくざい)』の痛ましさが忘れられず、タイトルを思い出すだけで苦しい。
 その大作家の新刊が今回の『恋するアダム』で、例えば過去作『ソーラー』が皮肉と共に環境問題を扱ったように、なんとアダムはAIによって作動し思考する最新モデルのロボットだ。つまり〝人造人間〟の存在によって、人間とは何かを照らし返すSFの王道のような小説が提出されたわけだ。
 いわゆる純文学から離れて、マキューアンは遊びを含んだ作法で作品を語る。そのひとつが小説の背景が1982年であることで、すでに前世紀にAI技術が現在を超えている設定。
 そして例えばその年、英国とアルゼンチンとの間に現実に起こったフォークランド紛争において、アルゼンチンが勝利したという別の世界線で物語は進む。したがって作者は自在に歴史を書き換え、そのことによって現今の英国政治を好きなように語る。
 社会風刺を迷わず織り込むこうした軽さを、大作家が選んでみせることの意義は大きい。そもそも小説とはあらゆる声を放り込める容器なのであり、であれば死んだはずのアラン・チューリングが情報処理について語ったり、主人公の恋する相手ミランダがある事件に複雑な仕方で関わることで我々に重い問いを投げてきたり、そこに社会問題が深くからんできたりするのは当然の事態なのだ。
 文体を研ぎ澄ませて人間の悲しみをシリアスに描くのではなく、自由に本筋を逸れてみせながら実は世界そのものを(それもあり得ない過去を通して)語ってみせるマキューアンの態度こそが、デフォー『ロビンソン・クルーソー』やスウィフト『ガリヴァー旅行記』を18世紀に持つ英国文学の歴史を継ぐ姿でもあるはずだと思う。
 さて題名通りロボットは主人公の恋仇になる。あとは読者の読みに委ねよう。

    ◇
Ian McEwan 1948年生まれ。英国の作家。『アムステルダム』『贖罪』『初夜』『ソーラー』など。